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Q.ANT、光AIチップ量産開始 – 既存設備活用で性能30倍・速度50倍へ

Y Kobayashi

2025年4月5日

フォトニックAIチップを開発するQ.ANTが、ドイツ・シュトゥットガルトのマイクロエレクトロニクス研究所(IMS CHIPS)と提携し、革新的なフォトニックAIチップの専用生産ラインを立ち上げた。既存のCMOS半導体製造施設を「アップサイクル」する独自のアプローチにより、エネルギー効率を最大30倍、処理速度を最大50倍向上させる可能性を秘めたチップの生産を加速する。この動きは、高性能・省エネルギーなAIコンピューティング実現への大きな一歩であると同時に、半導体における国家的な技術主権強化とサプライチェーン強靭化に向けた新たな道筋を示すものである。

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革新的光AIチップ、シュトゥットガルトで生産開始

Q.ANTは、AIコンピューティングにおけるブレークスルーを目指し、フォトニック(光技術を用いた)プロセッサの開発を推進してきた企業である。今回、同社はシュトゥットガルトに拠点を置くIMS CHIPSと協力し、そのフォトニックAIチップのパイロット生産ラインを正式に稼働させたことを発表した。このプロジェクトの特筆すべき点は、最先端の専用工場を新設するのではなく、IMS CHIPSが保有する既存のCMOS(相補型金属酸化膜半導体、Complementary Metal-Oxide-Semiconductor)製造施設を改修・転用していることである。Q.ANTはこの「アップサイクル」戦略のために1400万ユーロを投じ、必要な機械設備を追加導入した。

この革新的な製造アプローチは、いくつかの重要な利点をもたらす。第一に、開発期間の大幅な短縮とコスト削減が可能となり、高性能なフォトニックAIチップをより迅速に市場投入できる。第二に、世界中に存在する旧世代の半導体工場を再活用するモデルケースとなり、半導体製造能力の「民主化」を促進する可能性がある。Q.ANTのCEOであるMichael Förtsch博士は、EE Timesのインタビューに対し、「このような工場は世界中に存在し、時代遅れと呼ばれています。しかし、我々は、プロセス安定性のためにいくつかのツールを戦略的に置き換えるだけで、最小限の投資で将来のAIチップのファウンドリサービスとして再利用できると考えているのです」と語っている。

今回稼働したパイロットラインは、IMS CHIPSの既存90nmプロセス技術を活用しており、年間最大1,000枚のウェハー生産能力を持つ。当初は6インチウェハーで生産を開始するが、設備は200mm(8インチ)ウェハーにも対応可能であり、将来的には年間約10,000枚規模への拡張も視野に入れているとされる。

なぜ光なのか? TFLN技術が切り開くAIの未来

従来のコンピュータチップは、シリコン基板上で電子の流れをトランジスタによって制御することで計算を行う。しかし、AIやハイパフォーマンスコンピューティング(HPC)のように膨大な計算処理が必要になると、電子の移動に伴う発熱や信号遅延が性能向上のボトルネックとなる。

フォトニックコンピューティングは、電子の代わりに光子(光の粒子)を使って情報を処理する技術である。光子は質量を持たず、電気抵抗による発熱も原理的に少ないため、電子よりもはるかに高速かつエネルギー効率よく計算を行える可能性がある。

Q.ANTの技術の中核をなすのが、「Thin-Film Lithium Niobate on Insulator (TFLN、絶縁体上の薄膜ニオブ酸リチウム)」と呼ばれる特殊な材料である。ニオブ酸リチウム自体は、光通信分野で光変調器などに広く利用されてきた実績のある材料だ。Q.ANTは、これを厚さ600nm(ナノメートル)の薄膜として絶縁体層の上に形成する独自技術を用いている。

TFLNは、フォトニックコンピューティングにおいて、従来のシリコンフォトニクスと比較していくつかの重要な利点を持つ。Förtsch CEOは、「シリコンは電気に関しては万能ですが、光に対しては吸収性があります。変調などを行うのが非常に難しく、競合他社は意味のある計算を実行できるほど精度を高めることができませんでした」とEE Timesに対して指摘する。一方、Q.ANTのTFLN技術では、電圧を印加することで導波路(光の通り道)内の光の屈折率を精密に制御するマッハツェンダー干渉計型変調器を用いる。これにより、電気的なバックグラウンドノイズの影響を受けずに、極めて正確な光の制御が可能となり、同社によれば「容易に16ビット精度」を実現できるという。

この高精度の鍵を握るのが、TFLNの優れた熱特性である。「本質的に、フォトニクス層での熱拡散はゼロであり、層自体は周囲環境と同じ温度になります。これは、熱変動や素子間のクロストークがないことを意味します」とFörtsch CEOは説明する。この特性により、演算精度が向上し、さらなる高密度化も可能になる。Q.ANTは次世代で32ビット精度への向上にも自信を見せている。

TFLNを用いることで、数GHz(ギガヘルツ)という超高速な光信号操作が可能となり、熱による変調を必要としないため、従来のシリコンベースのプロセッサと比較して、計算能力とエネルギー効率の大幅な向上が期待できるのである。

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性能目標:エネルギー効率30倍、処理速度50倍

Q.ANTは、自社のフォトニックAIチップが、従来の電子デバイスと比較して「エネルギー効率で最大30倍、計算速度で最大50倍」の向上を実現すると主張している。これは、光を用いることによる本質的な高速性と低消費電力性に加え、前述のTFLN技術による高精度な光制御によって達成される目標である。

具体的な性能を示す一例として、同社は手書き数字認識の標準的なベンチマークであるMNISTデータセットを用いた推論デモをクラウド上で公開している。このデモでは、GPU(Graphics Processing Unit)と比較して30倍のエネルギー効率と50倍の推論速度を達成しつつ、95%の認識精度を実現したとしている。これは、フォトニックチップが複雑なAIタスクを低消費電力で実行できる可能性を示唆している。

公開されている技術資料によると、Q.ANTのフォトニックAIアクセラレータ「Q.ANT NPS」は、PCI Express (PCIe)カードの形態で提供される。カード1枚あたりの消費電力は30Wと低く抑えられており、冷却もパッシブ(ファンレス)方式を採用している。スループットとしては「100 MOps (Mega Operations Per Second)」という数値も記載されているが、これが具体的にどの演算処理を指すのか、また他の性能指標(例:MAC演算性能)とどう関連するのかは現時点では不明瞭だ。しかし、MNISTデモの結果と合わせて考えると、AIアプリケーション全体において大幅な高速化と省電力化が見込めるという点が重要だろう。

Q.ANTの資料 [PDF]にあるグラフも、フォトニックコンピューティング技術全般が、従来のデジタルエレクトロニクスと比較して、計算密度(単位面積あたりの計算能力)とエネルギー効率の両面で高いポテンシャルを持つことを示唆している。

アナログ計算と非線形処理:AIモデルの新たな可能性

Q.ANTのフォトニックチップの興味深い特徴の一つは、アナログ計算能力と非線形関数処理への適性である。Förtsch CEOは、「CMOSは非線形関数にはあまり適していません。トランジスタのHigh/Lowが基本だ。デジタルプロセッサは線形近似には非常に優れていますが、非常に単純な非線形問題を近似するには何百万ものパラメータが必要になります」とEE Timesに述べている。

彼は例として円を挙げ、線形関数で近似するには多くのパラメータが必要だが、サイン波関数なら2つで済むと説明する。Q.ANTのフォトニックチップは、光の強度や位相といった連続的な量をアナログ的に扱えるため、「線形および非線形の方程式にネイティブにアクセスできる」という。これにより、既存のAIモデルだけでなく、非線形関数を活用した新しいタイプのモデルも効率的に処理できる可能性がある。

「アナログ計算は、プロセッサアーキテクチャに自然に刻み込まれた複雑な非線形関数へのアクセスを提供し、これにより大量のエネルギーを節約できる」とFörtsch CEOは強調する。具体的には、近年注目されているKolmogorov-Arnold Networks (KAN)のような、線形重みを非線形関数で置き換えることでパラメータ数を削減する新しいAIモデルのアクセラレーションに有効である可能性がある。現在のCMOSアーキテクチャでは、サイン関数やフーリエ変換のような非線形関数を実行するには膨大な数のトランジスタが必要となりコストがかかるため、線形演算に頼るのが一般的だが、フォトニックチップはこの制約を打ち破るかもしれない。

「アップサイクル」戦略:チップ主権と持続可能性への貢献

Q.ANTとIMS CHIPSが採用した既存ファブの「アップサイクル」戦略は、技術的な側面だけでなく、経済的、地政学的、環境的な側面からも注目に値する。

まず、最新鋭の半導体工場建設には莫大な投資が必要となるが、既存設備を活用することで初期投資を大幅に抑え、フォトニックチップのような革新的技術の市場投入を加速できる。これは、特にスタートアップ企業にとっては大きな利点となる。

さらに、このアプローチは半導体サプライチェーンの強靭化と技術主権の確立にも貢献する。Förtsch CEOが指摘するように、「世界経済の進化に伴い、大規模なサプライチェーンから独立することがより重要になっている」。既存の(比較的古い)製造ラインを転用できるということは、特定の地域や国に依存せず、より多くの場所で先端的なAIチップを製造できる可能性を示唆する。「我々はこのラインを将来のAI高性能チップを製造するためにアップグレードし、再利用しました。これは原則として世界のどこでもコピーできる」と彼はEE Timesに語っている。これは特に、半導体製造能力の国内回帰や域内強化を目指す欧州などにとって重要な意味を持つだろう。まさに製造能力の「民主化」に向けた青写真(設計図)と言えるかもしれない。

加えて、新しい工場を建設する代わりに既存のインフラを再利用することは、建設に伴う環境負荷を低減し、持続可能性にも貢献するアプローチである。

IMS CHIPSのディレクター兼CEOであるJens Anders教授も、「このパイロットラインは、変革的な技術が既存のインフラ上でどのように繁栄できるかを示しており、エネルギー効率の高い次世代コンピューティングの青写真となる」と述べ、AIとデータ集約型アプリケーションの指数関数的な成長が現行のデータセンターインフラを間もなく圧倒するであろう重要な時期における、この提携の意義を強調している。

Q.ANT NPSとエコシステム:既存インフラとの連携

Q.ANTは、単にフォトニックチップを開発するだけでなく、それを実用的なソリューションとして提供するためのエコシステム構築にも注力している。主力製品となる「Q.ANT NPS (Native Processing Server)」は、フォトニックAIアクセラレータを搭載したPCIeカードを、標準的な19インチラックマウントサーバーに組み込んだ形で提供される。

このアプローチにより、データセンターやHPC環境を運用するユーザーは、既存のサーバーインフラに比較的容易にQ.ANTのフォトニックアクセラレータを統合できる(プラグアンドプレイ対応と記述)。現在は1Uサーバーあたり1枚のPCIeカードという構成だが、将来的には3Uラックに少なくとも16枚のカードを高密度に実装することを目指しており、しかも追加の冷却は不要だという。

ソフトウェア面では、「Q.ANT Toolkit」と呼ばれるソフトウェア開発キット(SDK)を提供している。これには、PythonやC++から利用可能なライブラリが含まれ、行列ベクトル乗算のような基本的な演算レベルでの直接操作や、全結合層、畳み込み層といった最適化されたニューラルネットワーク演算の利用が可能である。SDKには、数字認識(MNIST)、行列乗算、音声認識(LibriSpeech)、セマンティックセグメンテーション(KITTI)といったサンプルアプリケーションも含まれており、開発者はこれらを基盤として独自のAIアプリケーションを構築できる。同社のLight Empowered Native Arithmetic (LENA) アーキテクチャは、ソフトウェアスタックの中核をなす。

応用分野としては、AIモデルの訓練と推論、科学技術計算シミュレーション、複雑な数式のリアルタイム処理、機械学習向けの高密度テンソル演算などが挙げられている。

専門家の声と今後の展望

今回のパイロットライン稼働は、Q.ANTとフォトニックコンピューティング分野全体にとって重要なマイルストーンである。Q.ANTのFörtsch CEOは、「このアプローチはAIチップ製造の新たなベンチマークを確立し、より大きな自給自足とよりエネルギー効率の高いチップソリューションへの道を提供する」と述べ、「このパイロットラインにより、市場投入までの時間を短縮し、フォトニックプロセッサが高性能コンピューティングにおける標準的なコプロセッサとなるための基盤を築く」とその意義を強調している。彼はさらに、「2030年までに、我々のフォトニックプロセッサをAIインフラのスケーラブルでエネルギー効率の高い礎とすることを目指す」と長期的なビジョンを語った。

IMS CHIPSのAnders教授も、「Q.ANTとの提携により、我々の半導体製造の専門知識を活用してフォトニックプロセッサの産業化を加速し、エネルギー効率の高いコンピューティングのスケーラブルなモデルを確立します。これはAIの未来にとって重要なステップです」と期待を寄せている。

Q.ANTは、このパイロットラインを、市場の要求に合わせてチップアーキテクチャを洗練させるための研究開発拠点としても活用していく計画である。将来的には、より高性能なフォトニックNPU (Native Processing Unit) およびNPS (Native Processing Server) ソリューションの開発を目指す。Förtsch CEOは、「6年前に我々は薄膜ニオブ酸リチウムに大胆な賭けをしましたが、今日その決断が我々に大きなアドバンテージを与えている」と述べ、材料から完成したプロセッサまでバリューチェーン全体を自社でコントロールできる強みを活かし、次世代コンピューティングを推進していく姿勢を示した。

最後に、Förtsch CEOはフォトニックプロセッサの位置づけについて重要な点を指摘している。「我々はGPUを置き換えるのではなく、次世代の計算エコシステムを再構築しているのです。GPUがCPUを補完してきたように、フォトニクスはAIにおける次の飛躍を持続可能な形で可能にするでしょう」。これは、フォトニックチップが既存のコンピューティングアーキテクチャと共存し、特定のタスクを高速化・効率化するアクセラレータとして普及していく未来を示唆している。Q.ANTの挑戦は、AIとHPCの未来を形作る上で、重要な役割を果たす可能性を秘めている。


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