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TSMC、GaN事業から電撃撤退:AIの奔流が導く「選択と集中」、CoWoSにオールイン

Y Kobayashi

2025年7月3日

世界最大の半導体ファウンドリであるTSMC(台湾積体電路製造)が、窒化ガリウム(GaN)ウェハーファウンドリ事業から段階的に撤退し、その生産拠点である新竹Fab 5を先進パッケージング用途に転用する計画を明らかにした。この動きは、一見すると特定の事業からの撤退に過ぎないように見えるかもしれないが、TSMCがAI(人工知能)時代における半導体産業の将来を見据え、戦略的リソース配分を最適化する、極めて重要な「大転換」と見るべきだろう。

なぜTSMCは、成長分野であり、次世代パワー半導体として注目されるGaNからの撤退を決断したのか。そして、なぜその生産拠点を、今、需要が爆発的に高まる先進パッケージングへと振り向けるのか。本稿では、この一連の動きの背景にある業界構造の変化、TSMCのビジネスモデルと競争戦略、そしてそれが半導体エコシステム全体に与える影響について見ていこう。

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巨人が下した決断:2027年、GaN事業に幕

発端は、TSMCの主要顧客の一社である国際的なパワー半導体メーカー、Navitas Semiconductorが米国証券取引委員会(SEC)に提出した書類だった。ここで、TSMCが2027年7月31日をもってGaNウェハーファウンドリサービスを終了する方針であることが明かされたのだ。

この情報を受け、台湾メディアの取材に対しTSMCは事実を認めた。同社は「市場と当社の長期的な戦略を総合的に評価した結果、今後2年間でGaN事業から段階的に撤退することを決定した」とコメント。この戦略的撤退は、以前に発表した財務目標に影響を与えるものではなく、2025年の米ドル建て売上高は24%から26%の成長を見込むという強気の姿勢も崩していない。

影響を受けるのは、新竹サイエンスパークに位置するTSMCのFab 5であると報じられている。この6インチウェハー対応工場は、現在月産3,000〜4,000枚規模でGaNチップを生産しており、NavitasやAncora Semiなどが主要顧客として名を連ねていた。特にNavitasは、TSMCのGaN生産量の半分以上を占める最大の顧客であり、今回の決定は同社の生産戦略に直接的な影響を及ぼすことになる。

撤退の引き金は「赤い津波」か?価格競争からの戦略的離脱

なぜTSMCは、エネルギー効率の高さから電気自動車(EV)やデータセンター、急速充電器などでの需要拡大が見込まれるGaN市場から手を引くのか。業界アナリストが指摘するのは、中国メーカーの台頭による熾烈な価格競争だ。

近年、中国の半導体メーカーは政府の強力な支援を受け、成熟プロセスを中心に急速に生産能力を拡大。その結果、多くの分野で供給過剰と価格下落の「赤い津波」が押し寄せている。GaN市場もその例外ではなく、低価格攻勢が激化していた。

TSMCにとって、GaN事業は全社売上から見れば規模が小さく、利益率も限定的だった。世界最先端のロジック半導体で圧倒的な収益性を誇る同社にとって、消耗戦が必至の価格競争にリソースを割くことは、戦略的に得策ではない。むしろ、不毛な戦場から早期に撤退し、より付加価値の高い、圧倒的な競争優位を持つ領域に経営資源を再配分することこそが合理的だ。今回の決断は、TSMCが「勝てる戦場で戦う」という原則を貫いた、極めて冷静な経営判断の表れと言えるだろう。

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AI向けにリソースを集中:CoWoS需要爆発とFab 5の新たな使命

TSMCのGaN事業撤退は、単なる「守り」の判断ではない。むしろ、爆発的に増大する需要に応えるための、極めて攻撃的な「攻め」の布石である。Fab 5からGaNが去った跡地には、現代の石油とも言えるAIチップを支える最重要技術、先進パッケージングの生産ラインが敷設されることになる。

具体的には、CoWoS(Chip on Wafer on Substrate)に代表される先進パッケージング技術だ。NVIDIAのGPUをはじめとする高性能AIチップは、複数のチップを高密度に接続するこの技術なくしては成り立たない。AIサーバーの需要はまさに「狂気的」なレベルで伸びており、CoWoSの生産能力は深刻なボトルネックとなっている。

TSMCはこの需要に応えるべく、CoWoSの生産能力を2022年から2025年にかけて年平均成長率80%という驚異的なペースで拡大する計画を立てている。その中で、GaN事業を終了するFab 5を先進パッケージング用途に転用するというアイデアが浮上した。報道によれば、TSMCは2025年7月1日からFab 5を転用し、CoWoSやWafer-on-Wafer(WoW)、Wafer-Level System Integration(WLSI)といった先進パッケージングの生産拠点とする計画だという。

既存のクリーンルーム施設を再利用することで、ゼロから新工場を建設するよりもはるかに迅速かつ低コストで生産能力を立ち上げることができる。これは、一刻も早い供給力増強を求める顧客の要求に応えるための、TSMCの俊敏さを示す最たる例だ。GaN事業の撤退はスペースを「空ける」ためではなく、AIという新たな王のために玉座を「用意する」ための戦略的な一手なのである。

サプライチェーンの再編:Navitasはなぜ「力積電(PSMC)」を選んだのか

最大の顧客であったNavitasは、TSMCの撤退を受けて迅速に行動した。同社は、新たな供給元として同じ台湾のファウンドリであるPSMC(力晶積成電子製造)と戦略的提携を結んだことを発表。TSMCからの生産移管を進めることになる。

ここで興味深いのは、NavitasがTSMC傘下のファウンドリであるVanguard International Semiconductor(VIS)ではなく、PSMCを選択した点だ。この選択の裏には、技術的な合理性が存在する。

  • TSMCとPSMC: 両社は、シリコン(Si)基板上にGaN層を成長させる「GaN-on-Si」技術を採用している。これは比較的コストが安く、量産性に優れたプラットフォームだ。
  • VIS: 一方、VISはQST(Qromis Substrate Technology)基板を用いる「GaN-on-QST」技術に注力している。これは熱膨張係数をシリコンに近づけることで大口径化や信頼性向上に利点があるとされるが、コストが高く、製造プロセスも異なる。

Navitasにとって、長年TSMCのGaN-on-Siプラットフォームで最適化してきた製品設計を、スムーズかつ低コストで移行させるには、同じ技術基盤を持つPSMCが最適なパートナーだったのだ。これは、半導体サプライチェーンの再編が、単なる企業間の関係性だけでなく、技術プラットフォームの互換性という根源的な要因に左右されることを示す好例と言える。

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漁夫の利か、新たな主役か?PSMCが掴むAI電源の好機

TSMCの撤退は、PSMCにとってまさに渡りに船となった。PSMCはNavitasという大口顧客を獲得しただけでなく、その先の巨大市場への扉を開く可能性を手にした。

奇しくもNavitasは最近、AIの巨人NVIDIAと協力し、AIデータセンターの電力効率を劇的に向上させる新世代の800V高圧直流(HVDC)電力アーキテクチャを共同開発することを発表している。AIの性能向上に伴い、データセンターの消費電力は爆発的に増大しており、電力供給の効率化は喫緊の課題だ。GaNデバイスは、この分野で重要な役割を果たすと期待されている。

PSMCはNavitasの主要な製造パートナーとなることで、間接的にNVIDIAが主導するAIエコシステムに深く関与し、急成長するAI電源市場の恩恵を享受する絶好のポジションを得た。TSMCが最先端の演算チップでAI革命を牽引する一方で、PSMCはそれを支える電源インフラという、もう一つの重要な戦線で台湾の半導体産業の層の厚さを示すことになるかもしれない。

AIの引力が変える半導体業界の地図

TSMCのGaN事業からの撤退は、一つの事業の終わりであると同時に、半導体業界が新たな時代に突入したことを告げるものでもある。AIという、かつてないほどの巨大な重力源が、技術開発の優先順位、サプライチェーンの構造、そして企業の経営戦略そのものを根底から揺さぶっているのだ。

巨人は、収益性の低い戦場からは迷わず兵を引き、将来の富を生む本丸(AI向け先進技術)の守りを固め、さらに強化する。この冷徹なまでの「選択と集中」こそが、TSMCが王者であり続ける所以だろう。この地殻変動は、今後他の半導体企業にも同様の決断を迫っていくに違いない。次にスポットライトが当たるのは、そして次に歴史の舞台から静かに去っていくのは、どの技術なのだろうか。半導体業界の地図は、AIの引力によって、今この瞬間も書き換えられ続けている。


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