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米下院、AIチップに「追跡義務」法案提出:GPU密輸阻止へ超党派の動き「キルスイッチ」も視野に

Y Kobayashi

2025年5月16日

米下院で2025年5月15日、高性能GPU(グラフィックス処理ユニット)やAI(人工知能)チップに位置追跡機能の搭載を義務付ける「Chip Security Act」法案が、超党派の議員グループによって提出された。中国などへの不正な技術流出を防ぎ、米国の国家安全保障と技術的優位性を維持することが主な目的である。この法案が成立すれば、NVIDIAやAMDといった半導体メーカーは、輸出する製品の追跡と報告が義務付けられ、場合によっては遠隔で機能を停止させる「キルスイッチ」のような技術の導入も検討される可能性がある。

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「Chip Security Act」とは何か? 法案の核心に迫る

今回提出された「Chip Security Act」[PDF]は、米国の輸出管理規制の対象となる先端半導体チップが、意図しない国家や組織の手に渡ることを阻止するための、より強力な枠組みを構築しようとするものである。

なぜ今、この法案が必要なのか?

法案の背景には、AI技術の急速な進化と、それに伴う地政学的な緊張の高まりがある。特に、高性能なAIチップは、軍事技術の高度化やサイバー攻撃能力の向上に直結する可能性があり、米国は自国設計の先端技術が潜在的な敵対国に渡ることを強く警戒している。

これまでの輸出規制にもかかわらず、空輸や第三国を経由した密輸ネットワーク、ペーパーカンパニーなどを通じて、中国などが米国の高性能AIチップを入手している事例が報告されている。今回の法案は、こうした抜け穴を塞ぎ、チップが最終的にどこで、誰によって使用されているのかを把握可能にすることで、実効性のある管理体制を築くことを目指している。

法案の「SENSE OF CONGRESS(議会の認識)」セクションでは、以下のような点が強調されている。

  • 米国で開発された技術は、AIのグローバルエコシステムの基盤となり、米国の外交政策と国家安全保障目標を推進すべきである。
  • 米国は、同盟国やパートナー国に高度なコンピューティング能力を提供することで、友好関係を育み、世界の革新的な研究を支援できる。
  • 米国から輸出される高度な集積回路とコンピューティングハードウェアは、転用、盗難、その他の不正使用や搾取から保護されなければならない。
  • チップセキュリティメカニズムの導入は、輸出管理法の遵守を改善し、同盟国を支援し、悪意のある者が先端技術にアクセスしたり改ざんしたりするのを防ぐ。
  • これにより、輸出管理の柔軟性が高まり、より多くの国際的パートナーが合理化された形でより大規模な先端コンピューティングハードウェアの出荷を受けられるようになる可能性がある。

主な内容:位置追跡、報告義務、対象となるチップ

法案の核心は、対象となるチップに「チップセキュリティメカニズム(chip security mechanism)」の搭載を義務付ける点にある。このメカニズムは、ソフトウェア、ファームウェア、ハードウェア、あるいは物理的なセキュリティ対策によって実現され、主に以下の機能が想定されている。

  1. 位置検証 (Location Verification): 法案施行後180日以内に、商務長官は、輸出、再輸出、または国内移転される対象集積回路製品に対し、実現可能かつ適切な技術を用いた位置検証機能を実装したチップセキュリティメカニズムの搭載を義務付ける必要がある。これにより、チップが承認された場所以外で使用されたり、許可されていないユーザーに渡ったりした場合に検知できるようになる。
  2. 報告義務 (Notification Requirement): 輸出業者は、ライセンスやその他の許可に基づいて輸出したチップが、(A)申請書に記載された場所以外の場所にある、(B)申請書に記載されたユーザー以外のユーザーに転用された、(C)位置検証メカニズムやその他のチップセキュリティメカニズムを無効化、偽装、操作、誤認させようとする改ざんやその試みがなされた、という信頼できる情報を得た場合、速やかに産業安全保障局(BIS)の次官に報告しなければならない。

対象となる「対象集積回路製品」は、具体的には以下の輸出管理分類番号(ECCN)で特定される製品や、それらを含むコンピュータなどが想定されている。

  • ECCN 3A090: 特にAI用途に設計された高性能集積回路。
  • ECCN 3A001.z: 特定の先端プロセスで製造された集積回路。
  • ECCN 4A090: AI処理能力を持つコンピュータ。
  • ECCN 4A003.z: 特定の性能閾値を超えるデジタルコンピュータ。

二次的なセキュリティ要件と「キルスイッチ」の可能性

法案は、初期の位置検証メカニズムに加え、さらに高度なセキュリティ対策についても言及している。施行後1年以内に、商務長官は追加のメカニズムの必要性を評価し、議会に報告することになる。この評価には以下の項目が含まれる。

  • チップの改ざん、無効化、その他の操作を防ぐ方法と戦略。
  • ワークロード検証方法(チップが意図された処理を行っているかを確認する手法)。
  • 不正に取得された製品の機能を変更する方法(例えば、性能を大幅に低下させたり、機能を無効化したりする「キルスイッチ」のような概念も含まれうると考えられる)。

共同提出者の一人である Bill Foster 議員(イリノイ州選出、民主党)は元物理学者で、自身もチップ設計の経験があることから、「強力なAI技術が悪用されるのを防ぐ技術的手段は存在する」と述べており、同議員がNVIDIAに対し、中国に渡った場合にチップを無用化できる「キルスイッチ」の統合を示唆したことも報じられている

なぜGPUが狙われるのか? AI開発競争と地政学的背景

近年、特にNVIDIA製の高性能GPUは、AIモデルの学習と推論に不可欠な存在となっている。その並列処理能力は、大規模言語モデル(LLM)や画像生成AIなどの複雑な計算を効率的に実行するために最適化されており、AI開発の競争力を左右する戦略的リソースと見なされている。

AIの軍事転用への懸念と中国の台頭

AI技術は民生用途だけでなく、軍事分野でも革新をもたらす可能性を秘めている。自律型兵器、諜報活動の高度化、サイバー戦能力の向上など、その応用範囲は広く、各国はAI技術の軍事的優位性を確保しようと鎬を削っている。

特に米国は、急速にAI技術力を高めている中国の動向を強く警戒している。中国が米国の先端AIチップを入手し、軍事バランスを変化させるような形で利用することを防ぐことは、米国の国家安全保障戦略における喫緊の課題となっている。

既存の輸出規制とその限界:密輸ルートの実態

米国はこれまでも、BISを通じて特定の国や企業への高性能半導体の輸出を規制してきた。しかし、これらの規制をかいくぐり、AIチップが中国などに流れている実態が複数の報道で明らかになっている。マレーシア、シンガポール、フィリピンといった国々が中継地として利用されたり、ペーパーカンパニーを介した複雑な取引が行われたりするケースが指摘されている。

既存の規制では、輸出後のチップの最終的な使用状況を追跡することが困難であり、今回の「Chip Security Act」は、この「追跡の難しさ」という根本的な問題に対処しようとするものと言えるだろう。

Trump政権下での輸出政策の不透明感

もう一つの背景として、輸出管理政策を巡る政権の方針転換も挙げられる。The Registerによると、Trump政権は最近、Biden前政権が導入した、GPUなどのハイエンドチップの中国などへの密輸を取り締まることを目的とした「拡散ルール(diffusion rules)」を撤廃した。新たな輸出規制を導入するとしているが、その詳細はまだ不明確な状況である。

一方で、Reutersは、Donald Trump大統領が中東を訪問し、サウジアラビアなどへのAIチップ輸出に関する取引を発表したと報じている。これに対しては米政府内部からも懸念の声が上がっており、同盟国や友好国への技術供与と、潜在的リスク国への流出防止という、相反する要素のバランスをどう取るのか、難しい舵取りが迫られている。

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「位置追跡」「キルスイッチ」は実現可能か? 技術的課題と懸念点

法案が提案するようなチップレベルでの位置追跡や遠隔操作については以下のアプローチが提案されているという:

提案されている技術的アプローチ

法案自体は具体的な技術仕様を定めていないが、「ソフトウェア、ファームウェア、またはハードウェア対応のセキュリティメカニズム、あるいは物理的なセキュリティメカニズム」と幅広く定義している。

考えられるアプローチとしては、

  • GPS等の測位機能の内蔵: チップ自体に小型のGPS受信機などを組み込む。ただし、コスト、サイズ、消費電力、そして屋内や地下での測位精度が課題となる。
  • ネットワーク経由での位置報告: チップが搭載されたデバイスがインターネットに接続された際に、IPアドレスや周辺のWi-Fiアクセスポイント情報などから位置を推定し、特定のサーバーに報告する。
  • 認証ベースのジオフェンシング: 特定の地理的範囲外ではチップの全機能または一部機能が利用できなくなるように、起動時などにサーバー認証を必要とする。
  • 物理的な耐タンパー性: チップパッケージの開封や不正な改造を検知するセンサーを組み込み、検知した場合にチップを自己破壊または機能不全にする。

Bill Foster議員は、これらの技術的実装が可能であるとの見解を示している。

実装コスト、性能への影響、プライバシー懸念

これらのセキュリティメカニズムを導入するには、半導体メーカーにとって追加の開発コストや製造コストが発生する。また、チップのダイサイズが大きくなったり、消費電力が増加したり、場合によっては性能に影響が出たりする可能性も否定できない。

さらに重要なのはプライバシーへの懸念である。チップの位置情報が常にメーカーや政府によって追跡されるとなれば、ユーザーのプライバシー侵害につながるという批判は免れないだろう。法案には「プライバシーを優先する」という記述(Sec. 4 (b)(3)(B))があるが、その具体的な担保策は今後の議論を待つ必要がある。

「キルスイッチ」のような機能は、さらに深刻な問題を提起する。もし誤って発動された場合、正当なユーザーのシステムが機能不全に陥るリスクがある。また、このような強力な遠隔操作機能が悪意のある第三者に悪用された場合の被害は計り知れない。

半導体メーカーへの影響は? NVIDIA、AMD、Intelの動向

この法案が成立した場合、NVIDIA、AMD、Intelといった大手半導体メーカーは大きな影響を受けることになる。

各社の公式コメント

AMDとNVIDIAはこの法案についてコメントを控えており、Intelは記事公開時点で回答していない。企業としては、法案の詳細や具体的な要求仕様が明らかになるまでは、慎重な姿勢を取らざるを得ないであろう。

開発・製造プロセスへの影響、コスト増の可能性

新たなセキュリティ機能の設計、検証、実装は、半導体の開発サイクルを長期化させ、複雑性を増大させる可能性がある。また、前述の通り、製造コストの上昇は避けられないであろう。これが最終製品の価格に転嫁されるのか、それともメーカーが吸収するのかは現時点では不明である。

国際的なサプライチェーンへの波及効果

この規制は米国の輸出管理に関わるものであるため、米国外の企業であっても、米国の技術や部品を使用している場合は影響を受ける可能性がある。国際的な半導体サプライチェーンは複雑に絡み合っており、この法案が一石を投じることで、新たな分断や協力の枠組みが生まれるかもしれない。

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法案成立の行方と国際社会の反応

「Chip Security Act」はまだ提案段階であり、法案として成立するかどうかは今後の議会での審議次第である。

上院での審議状況と成立の可能性

下院での法案提出に先立ち、上院でも先週、Tom Cotton 議員(アーカンソー州選出、共和党)が同様の趣旨の法案を提出している。下院の法案は Bill Huizenga 議員(ミシガン州選出、共和党)によって提出され、Bill Foster 議員のほか、下院中国特別委員会の John Moolenaar 委員長(ミシガン州選出、共和党)、同筆頭委員の Raja Krishnamoorthi 議員(イリノイ州選出、民主党)、さらに Ted Lieu 議員(カリフォルニア州選出、民主党)、下院情報委員会の Rick Crawford 委員長(アーカンソー州選出、共和党)、Josh Gottheimer 議員(ニュージャージー州選出、民主党)、Darin LaHood 議員(イリノイ州選出、共和党)らが共同提案者に名を連ねている。このように上下両院で超党派の支持があることは、法案成立に向けた追い風となる可能性がある。しかし、前述のような技術的課題やプライバシーへの懸念、産業界への影響などを考慮した慎重な議論が求められるであろう。

同盟国との連携、国際的な枠組みの必要性

このような規制は、米国一国だけで実施しても効果が限定的である可能性がある。技術流出を防ぐためには、日本や欧州諸国といった同盟国・友好国との連携が不可欠である。国際的な枠組みの中で、共通のルールや基準を設けることができれば、より実効性の高い対策となるであろう。

技術覇権争いの新たな局面か

この「Chip Security Act」は、単なる技術的な規制強化という側面だけでなく、米中を中心とした技術覇権争いが新たな段階に入ったことを象徴しているように筆者は考える。AIという、将来の産業や安全保障を根底から変えうる力を持つ技術の核心部品である高性能チップの管理を強化することは、自国の優位性を維持し、競争相手の台頭を抑制しようとする国家戦略の一環と捉えることができる。

しかし、このような規制強化が、自由な研究開発や国際協調を阻害し、結果として技術革新の停滞を招くことにならないか、という懸念も拭えない。また、中国などが独自の半導体開発をさらに加速させるインセンティブとなり、長期的にはグローバルな半導体市場の勢力図を塗り替える可能性も秘めている。

この法案の行方と、それがもたらす影響については、今後も注意深く見守っていく必要があるだろう。技術の進歩と国家の安全保障、そして個人の自由とプライバシーという、複雑に絡み合う要素の中で、どのような着地点を見出すのか。その議論のプロセス自体が、21世紀のテクノロジーと社会のあり方を考える上で重要な示唆を与えてくれるはずである。


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