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脳は父親に似るのか、母親に似るのか? 東北大、性別で異なる「脳の類似パターン」を世界初解明

Y Kobayashi

2025年7月3日

「顔や性格が親に似る」というのは、誰もが日常で感じることだ。では、私たちの思考や感情の源である「脳」のかたちは、一体どちらの親から受け継がれるのだろうか? この根源的な問いに、東北大学の研究グループが1つの答えを提示した。父・母・子の脳を網羅的に比較する世界初の試みにより、脳の類似パターンが子の性別によって劇的に異なることが明らかになったのだ。この発見は、心の病気が世代間で受け継がれる謎を解き明かす、重要な鍵となるかもしれない。

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「あなたは父親似?母親似?」長年の謎に脳科学が挑む

私たちはしばしば、鏡に映る自分や、ふとした瞬間の癖に、父や母の面影を見出す。しかし、その類似性は外見や性格だけに留まらない。近年の脳科学は、親子の脳のかたちが、赤の他人とは比べ物にならないほど似ていることを突き止めてきた。

だが、これまでの研究には大きな「空白地帯」が存在した。そのほとんどが母親と子どもの関係に焦点を当てており、父親の脳がどのように子の脳形成に関わるのか、その全体像は深い霧に包まれていたのだ。研究の世界において、父親はしばしば不在の存在(ゴースト)だったのである。

この決定的なピースを埋めるべく立ち上がったのが、東北大学学際科学フロンティア研究所の松平泉助教、大学院医学系研究科の山口涼大学院生、加齢医学研究所の瀧靖之教授らの研究グループだ。彼らは、この困難な課題に正面から向き合った。

世界初の試み:「親子トリオ」152組が解き明かす脳の地図

研究の基盤となったのは、2020年から続く壮大な脳科学プロジェクト『家族の脳科学』である。研究グループは、父親の研究参加を促すことの難しさを、広告展開の工夫や協力者の都合に合わせた柔軟な調査体制を構築することで克服。実に289組もの父・母・子からなる「親子トリオ」の協力を得て、脳MRI画像、遺伝子、生育環境、性格、認知能力といった多岐にわたるデータを収集した。これは、父親のデータが世界的に不足する中、他に類を見ない貴重なデータセットと言える。

今回の研究では、この中から高校生以上の子を持つ152組の親子トリオのデータを解析対象とした。研究チームは、脳のMRI画像から、主に4種類のかたちの情報(特徴量)を算出した。

  • 皮質厚 (Cortical Thickness): 神経細胞が密集する大脳皮質の「厚さ」。情報処理の質に関わるとされる。
  • 表面積 (Surface Area): 大脳皮質の「広がり」。情報処理の容量に関わると考えられている。
  • 脳回指数 (Gyrification Index): 脳の「シワの複雑さ」。胎児期の脳の発達を反映するとされる。
  • 皮質下構造の体積 (Subcortical Volume): 感情や記憶、運動などを司る脳深部の領域の「大きさ」。

これらの特徴量が、親子間でどれほど似ているのか。研究チームは、本物の親子の相関係数と、データをシャッフルして作った「子と他人の親」の相関係数を比較するという統計的手法で、偶然とは言えない「本物の類似性」を炙り出したのである。

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驚きの発見:息子の脳は「母」に、娘の脳は「両親」に似る傾向

解析結果は、研究者たちの予想を超える、驚くべきパターンを示していた。子の脳には、明確に「父親にのみ似る部分」「母親にのみ似る部分」「両親に似る部分」、そして「どちらにも似ない部分」の4つの領域が存在することが判明したのだ。

そして、最も衝撃的だったのは、この「脳の類似性マップ」が、子の性別によってまったく異なる様相を呈したことである。

論文で示されたデータと、東北大学が公開した模式図を基に、その具体的な中身を見ていこう。

  • 【脳のシワ(脳回指数)】: 脳の基本的な構造と言えるシワの複雑さは、息子では父親と強く似る傾向が見られた。一方、娘は父親と母親の両方と似ていた
  • 【皮質の厚さ(皮質厚)】: 神経細胞の層の厚さは、息子では母親との類似性が顕著だった。娘では、両親とバランス良く似る傾向があった。
  • 【皮質の広さ(表面積)】: 皮質の広がりにおいては、娘は両親と似る領域が多く見られたのに対し、息子はどちらの親とも似ていない領域が目立った。

つまり、「あなたの脳は父親似?母親似?」という問いの答えは、脳のどの特徴を見るかによって変わり、さらにあなたが男性か女性かによっても劇的に変化する、ということだ。これは、人間の脳の個性が、父と母から受け継ぐ要素の複雑な組み合わせによって、性別ごとに異なる戦略で形作られていることを示唆している。

なぜ性別で違いが?遺伝子、環境、関わり…浮かび上がる3つの仮説

この発見は、我々に新たな、そしてさらに深い謎を突きつける。「なぜ、これほどまでに明確な性差が生まれるのか?」研究グループは論文の中で、この科学ミステリーを解くためのいくつかの魅力的な仮説を提示している。

仮説1:遺伝子の巧妙な仕掛け

一つは、遺伝子レベルのメカニズムだ。私たちの遺伝子には、父親由来か母親由来かによって働きが変わる「ゲノムインプリンティング」という現象が存在する。また、細胞のエネルギー工場であるミトコンドリアのDNAは、母親からのみ子へと受け継がれる。こうした性特異的な遺伝の仕組みが、脳の特定領域のかたちに影響を与えている可能性は十分に考えられる。特に、息子の皮質厚が母親と強く似ていたという結果は、ミトコンドリアDNAの関与を想起させる。

仮説2:人生最初の環境の影響

脳のかたちは、生まれ持った遺伝子だけで決まるわけではない。特に、胎児期に形成される脳のシワ(脳回指数)は、子宮内の環境に影響される可能性が指摘されている。母親と共有する胎内環境はもちろんのこと、近年の研究では父親の社会経済的状況が子の胎児期の脳の発達に関連するという報告もある。息子が父親と脳のシワで似ていたのは、父と子が世代を超えて似たような社会環境を経験することが、何らかの形で影響しているのかもしれない。

仮説3:親子間のコミュニケーションの違い

親は、息子と娘に対して、無意識のうちに接し方や言葉のかけ方を変えている可能性がある。こうした性別による関わり方の違いが、脳の発達に長期的な影響を及ぼし、類似性のパターンに違いを生み出しているというシナリオも考えられるだろう。

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未解明の謎へ挑む:脳科学が描く、親子の絆と未来の医療

今回の東北大学の研究は、脳科学における世代間伝達研究の新たな出発点となる。研究グループは、この発見を手がかりに、今後さらに深遠な問いに挑む予定である。すなわち、

  • 「なぜ親子で脳が似るのか?」
  • 「なぜ性別によって似方が異なるのか?」
  • 「脳の類似性と性格の類似性はどのように関係するのか?」

これらの問いに答えることは、私たち人類の「個性」や「人格」がどのように形成されるのかという根源的な謎の解明に繋がるだろう。

また、この研究の意義は、単に知的好奇心を満たすに留まらない。それは、うつ病や不安障害といった精神的な不調が世代を超えて伝播する、「世代間伝達」のメカニズム解明に直結するからだ。

「父から息子へ」「母から娘へ」といった、不調が伝わりやすい特定の経路が脳のどの部分の類似性に基づいているのかを特定できれば、より的を絞った効果的な予防策や、新たな治療法の開発に繋がる可能性がある。

本研究をリードした松平助教は、「本研究の発展は、親子間の精神的な不調の連鎖を断ち切るための、新たな治療方法の開発に繋がる可能性があります。また、適応的な特性や複雑な技能の継承を促進する、全く新しい技術の開発にも繋がるかもしれません」と、その社会貢献への強い期待を語っている。

もちろん、本研究は横断的なデータを用いた初期の成果であり、脳の発達における長期的な変化や、脳の類似と行動の関連性の性差など、さらなる検証が必要な課題も残されている。例えば、分析対象となった息子と娘のサンプルサイズに違いがあったため、性差の検出に影響があった可能性も指摘されており、今後の研究では、より多くの参加者による長期的な縦断研究が求められるだろう。

しかし、日本独自の「親子トリオ」データセットから得られたこの世界初の知見は、私たちの脳、ひいては心と行動のルーツを深く理解するための、まさに新しい脳科学の出発点となるに違いない。親子の絆が脳の深部に刻まれているというこの発見は、未来の精神医療や教育、そして社会全体のウェルビーイングに、世代を超えた新たな光を投げかけることだろう。


論文

参考文献

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