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TSMC、トランプ関税を前に熊本第二工場を延期か。アリゾナ巨額投資にシフトする真意とSamsungの誤算

Y Kobayashi

2025年7月5日

世界最大の半導体ファウンドリである台湾積体電路製造 (TSMC)が、日本の熊本で計画していた第二工場の建設を延期し、そのリソースを米国アリゾナ州での巨大プロジェクトに振り向けている、とThe Wall Street Journal(WSJ)が報じている。公式には熊本の交通渋滞が理由として挙げられているが、その水面下では、再燃する「トランプ関税」への恐怖が渦巻いている。米国の保護主義的な政策が、世界のハイテク覇権を巡るゲームのルールそのものを変え、同盟国であるはずの日本や、ライバルである韓国の戦略さえも翻弄する、地政学リスクの現実を我々に見せつける出来事と言えるだろう。

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「交通渋滞」の裏に潜む「関税100%」という名の圧力

TSMCの会長であるC.C. Wei氏は6月、熊本第二工場の着工遅れについて、工場の稼働に伴う地域の「交通渋滞」を理由として挙げていた。同氏が「かつて15分だった道のりが1時間かかる」と語ったように、インフラの問題が実在するのは事実だろう。しかし、今回の一連の報道が示唆するのは、それが決定的な理由ではない、という可能性だ。

The Wall Street Journalが指摘するのは、Donald Trump大統領が示唆した、台湾製半導体に対する「最大100%」という懲罰的な関税の脅威である。これはもはや通常の通商政策の範疇を超えた、事実上の「核オプション」とも言える。この脅威を前に、TSMCが顧客需要の大部分を占める米国での生産能力確保を最優先事項と判断したとしても、何ら不思議はない。

TSMCは公式に「グローバルな製造拠点の拡大戦略は、顧客の需要、ビジネスチャンス、運営効率、政府の支援、経済的コストなど、複数の要因を総合的に考慮したもの」とコメントしている。この言葉は事実だろう。しかし、地政学リスクという変数が最大化した現在、その計算式における「関税リスク」の比重が極限まで高まったと見るのが自然な解釈ではないだろうか。米国政府によるCHIPS法を通じた巨額の補助金という「アメ」と、トランプ関税という「ムチ」。この強力なコンビネーションが、TSMCの経営判断を米国へと強く誘導している構図が透けて見える。

アリゾナへの奔流:単なる工場から「第二の拠点」へ

TSMCが米国に向ける視線は、単なるリスク回避に留まらない。アリゾナで計画されているのは、まさに「第二の拠点」と呼ぶにふさわしい野心的なプロジェクトだ。

現在TSMCはアリゾナ州フェニックス近郊に最終的に9つもの工場を建設する計画を進めている。すでに2024年後半には4ナノメートル(nm)プロセスの第一工場が稼働を開始。さらに2020年代の終わりには、原子数個分の厚さしかない「ナノシート」技術を用いた、1.6nm(一部報道では1.4nm)という最先端プロセスを導入する工場も計画されている。これは、台湾域外でTSMCが手掛ける最も先進的な製造拠点となることを意味する。

この動きを後押しするのが、米国の巨大テック企業からの圧倒的な需要だ。既にApple、NVIDIA、Microsoftといった主要顧客がこぞって「Made in USA」のチップを求めており、アリゾナ工場の生産キャパシティはすでに予約で満杯の状態だという。さらに、NVIDIAのAIチップを支えるFoxconnやQuantaといったサプライチェーンパートナーも米国への進出を進めており、AI時代における米国中心の半導体エコシステムが着々と形成されつつある。TSMCの米国シフトは、この巨大な潮流に乗るための必然的な戦略的判断なのである。

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明暗分かつライバル:顧客なきテキサスで立ち往生するサムスンの憂鬱

TSMCがアリゾナで未来への布石を打つ一方、その最大のライバルであるSamsung Electronicsは、対照的な苦境に立たされている。

Nikkei Asiaが報じたところによると、Samsungはテキサス州テイラーで170億ドルを投じて建設中の新工場の完成を遅らせているようだ。その最大の理由は、驚くべきことに「顧客の確保に苦戦している」ことだという。建設は90%以上完了しているにもかかわらず、製造装置の搬入を急いでいない。TSMCのアリゾナが予約で満杯である状況とは、まさに天国と地獄だ。

Samsungは当初、この工場で4nmプロセスを計画していたが、後に、より高度な2nmプロセスへの変更を検討し始めた。しかし、そのアップグレードにも巨額の投資が必要なため、「様子見」状態にあると報じられている。この戦略の迷走は、最先端ファウンドリ市場におけるTSMCとの信頼の差を象徴しているのかもしれない。顧客は、確実なロードマップと実行力を求めている。その点で、TSMCが一歩も二歩もリードしている現実が、テキサスの閑散とした建設現場から浮かび上がってくる。

揺らぐ日本の半導体戦略:地政学の奔流にどう立ち向かうか

TSMCの今回の決定は、日本の半導体戦略に冷水を浴びせるものだ。日本政府は「日の丸半導体」の復活をかけ、熊本のTSMCプロジェクトに80億ドル(1兆円以上)を超える異例の補助金を約束してきた。すでに稼働した第一工場は地域経済を潤したが、日本の真の狙いは、より高度なプロセスが期待された第二工場にあったはずだ。

この計画の不透明化は、日本のサプライチェーン強化のシナリオに狂いを生じさせる。トヨタ自動車などの国内企業は、より高性能な半導体の国内調達を期待していただろう。

今回の事態が突きつけるのは、地政学の奔流の中で、一国の補助金政策だけではグローバル企業の巨大な船体を意のままに動かすことはできない、という厳しい現実だ。企業の投資判断は、今や経済合理性だけでなく、地政学的なリスクと機会によって大きく左右される。

我々はこの現実を直視し、問い直さなければならない。米国の「アメとムチ」政策に対し、日本はどのようなカードを切れるのか。半導体サプライチェーンの強靭化という国家目標を、どのように達成していくのか。これはもはや一企業の投資問題ではない。国家の産業競争力、そして経済安全保障の根幹を揺るがす、極めて戦略的な課題なのである。


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