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TSMC、インド・シンガポール・中東からの工場誘致を拒否:背景に「最先端」へのこだわりと地政学の影

Y Kobayashi

2025年5月27日11:10AM

半導体受託製造(ファウンドリ)で世界最大手のTSMC(台湾積体電路製造)が、インド、シンガポール、そして中東のカタールからの新たな半導体工場建設の誘致を拒否したことが、Digitimesの報道により明らかになった。世界的な半導体供給網の再編と、AI(人工知能)開発競争が激化する中、TSMCのこの決断は大きな注目を集めている。なぜ同社は、これらの国々からの魅力的な提案を断ったのだろうか?その背景には、台湾を最重要生産拠点とする揺るぎない戦略、高度専門人材の確保という現実的な課題、そして複雑に絡み合う地政学的な判断が見え隠れする。

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複数国からの熱烈ラブコール、しかしTSMCの答えは「ノー」

Digitimesがサプライチェーン関係者の話として報じたところによると、TSMCはインド、シンガポール、カタールからの工場建設の要請を正式に断ったという。これらの国々は、自国のハイテク産業育成と経済安全保障の観点から、世界最先端の半導体製造技術を持つTSMCの誘致に強い意欲を示していた。特にAI技術の進化に伴い、高性能な半導体の確保は国家戦略そのものとなりつつあり、「ソブリンAI」――すなわち、各国が自国内でAIモデルを運用・管理できる能力を持つこと――の実現には、国内または信頼できるパートナーによる半導体供給が不可欠と認識されている。

TSMCは近年、米アリゾナ州や日本の熊本県、ドイツのドレスデンといった海外拠点での工場新設・拡張を進めており、その動向は常に世界の注目を集めてきた。アリゾナ工場では既に4ナノメートル(nm)プロセスの先端製品の生産が始まっていると報じられている。それだけに、今回3カ国からの誘致を断ったというニュースは、同社のグローバル戦略における慎重な姿勢を浮き彫りにしたと言えるだろう。

TSMCが下した「苦渋の決断」?拒否の裏にある複数の要因

TSMCがこれらの国々の提案を拒否した背景には、複合的な要因が存在すると考えられる。

人材とサプライチェーンの壁 – 「言うは易く行うは難し」

Digitimesの報道によれば、TSMCが海外進出をためらう大きな理由の一つに、高度な専門知識を持つ労働力の不足が挙げられている。最先端の半導体工場を稼働させるには、極めて高度な技術と経験を持つエンジニアやオペレーターが多数必要となる。TSMCは既にアメリカ、日本、ドイツでのプロジェクト推進のために台湾から多くの人材を派遣しており、サプライチェーン全体としてもリソースは逼迫しているのが現状のようだ。台湾国内ですら人材確保が課題となる中、半導体産業の基盤が十分に成熟していない地域で、短期間に大規模な専門家チームを組成し、維持することの難しさは想像に難くない。

wccftechも、労働力不足がTSMCの判断に影響した主要な要因であると指摘している。さらに、TSMCの創業者である張忠謀(モリス・チャン)博士自身が、米国工場の労働コストの高さやサプライチェーンの制約が製造コストを押し上げる可能性について率直に言及していたことも思い出される。実際、米国工場で生産される製品は、台湾製に比べて最大30%価格が上昇する可能性も報じられており、これはTSMCにとって無視できない経営課題である。

「どうせ建てるなら最先端」中東の野心とTSMCの戦略

もう一つの重要な点は、誘致国側が求める技術レベルだ。特に中東諸国は、成熟したプロセス技術の工場ではなく、最先端のプロセス技術を用いた製造拠点の設立をTSMCに期待していたとDigitimesは伝えている。最先端プロセスへの投資は巨額であり、その投資を回収するには、安定した大量需要と高い稼働率が不可欠だ。半導体産業のインフラがほぼゼロに近い中東地域で、いきなり最先端工場を立ち上げることのリスクは計り知れない。

カタールは特にTSMC誘致に熱心で、仮にTSMCが翻意するのであれば、さらなる補助金の積み増しも辞さない構えだと報じられている。しかし、「お金が問題ではない」という中東諸国の熱意だけでは、TSMCの慎重な経営判断を覆すには至らなかったようだ。

台湾こそが核心 – 海外展開は「やむを得ない選択」

Digitimesは、TSMCにとって台湾が最も完璧な生産拠点であり、海外での工場建設は「やむを得ない決定」であると強調している。台湾には長年にわたり培われてきた半導体製造のエコシステム、つまり高度な技術を持つ人材、緊密に連携するサプライヤー網、効率的な物流インフラが世界最高レベルで集積している。この「地の利」こそが、TSMCの競争力の源泉であり、他国が容易に模倣できるものではない。

米国、日本、ドイツへの進出は、主要顧客からの強い要請や、地政学的な圧力、そしてこれらの国々が持つ装置・材料・IC設計といった半導体関連産業における強みを考慮した上での戦略的判断であったと言える。しかし、それはあくまで台湾を中心とする生産体制を補完するものであり、世界中に生産拠点を分散させることがTSMCの基本戦略ではないのだろう。

グローバル供給網の最適化と地政学の天秤

TSMCはまた、世界的な生産能力のバランスと、供給過剰リスクの回避も考慮しているはずだ。無計画な設備投資は、市場の需給バランスを崩し、結果として自身の首を絞めることになりかねない。

さらに、米中対立の激化や、トランプ前大統領が示唆したような半導体チップへの関税導入の可能性など、地政学的な不確実性もTSMCの意思決定に影を落としている。同社は、これらのリスクを慎重に評価し、グローバルな事業展開における最適なバランスポイントを模索している最中であると考えられる。

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振られた国々の次なる一手 – 半導体国産化への道筋

TSMCからの誘致を断られた各国は、それぞれ次なる戦略を模索している。

インド:TSMC断念も、PSMC・Tata連合で国産化へ邁進

インドはTSMCからの誘致を断念した後、台湾の別のファウンドリ企業であるPSMC(力晶積成電子製造)と国内大手財閥Tataグループとの提携に舵を切った。Digitimesによると、この提携では、PSMCは主にウェハー製造工場の設計・建設、および従業員のトレーニングを担当し、その後の工場運営はTataグループが責任を負う形となる。PSMCにとっては、インドでの工場運営リスクを直接負うことなく、技術供与やコンサルティングで収益を上げるモデルと言えるだろう。

Tataグループはグジャラート州に新工場を建設し、2026年までに月産5万枚のウェハー生産を目指すなど、インド政府の強力な後押しのもと、半導体国産化への道を力強く歩み始めている。インド国内では、HCLとFoxconnの合弁事業を含む6つの半導体製造施設が承認されており、その他にもRenesas ElectronicsやMicron Technologiesといった海外大手企業もインドでの事業を拡大している。インド市場の潜在力と政府の積極的な産業政策が、今後の半導体サプライチェーンにおいて一定の存在感を示す可能性は十分にある。

シンガポール:TSMC子会社・世界先進との協業に活路

シンガポールに関しては、TSMC本体ではなく、その子会社であるVanguard International Semiconductor(VIS)を通じて、12インチウェハー工場の建設が進められている。この工場は2027年の量産開始を予定しており、TSMCグループとの連携を維持しつつ、自国の半導体産業の強化を図る戦略とみられる。シンガポールは既に成熟したハイテク産業基盤を有しており、世界先進との協業は現実的な選択と言えるだろう。

カタール:豊富な資金力で再アタックの可能性も?

前述の通り、カタールはTSMC誘致を諦めておらず、補助金の増額など、条件面での譲歩も視野に入れて再交渉を試みる可能性が報じられている。中東諸国は、AIや半導体といった先端技術分野への投資意欲が極めて旺盛であり、その豊富なオイルマネーを背景に、今後も様々な形で半導体メーカーへのアプローチを続けると予想される。

TSMC一強時代の行方 – 半導体覇権と「ソブリンAI」の未来

今回のTSMCの決断は、同社が依然として世界の半導体産業において圧倒的な交渉力と影響力を持っていることを改めて示した。3nm以下の最先端プロセス技術においては、競合であるIntelやSamsung Electronicを大きく引き離しており、その牙城は揺るぎないように見える。日本のRapidusプロジェクトも、TSMCの独走状態に一石を投じることが期待されるが、その道のりは平坦ではないだろう。

各国が国運を賭けて推進する「ソブリンAI」戦略の成否は、高性能な半導体の安定確保に大きく左右される。TSMCのようなトップ企業がどの国にどのような形で協力するのか、あるいはしないのかという判断は、今後の世界の技術覇権争いや経済安全保障の構図に直接的な影響を与え続ける。

今回のTSMCの決断は、一見すると一部の国にとっては後退に見えるかもしれない。しかし、見方を変えれば、各国が自国の強みや状況を再評価し、より現実的で持続可能な半導体戦略を構築するきっかけになるのではないだろうか。TSMC一社に依存するのではなく、PSMCのような他のプレイヤーとの連携や、国内企業の育成、あるいは特定のニッチ分野に特化するなど、多様なアプローチが模索されることになるだろう。

半導体産業は、かつてない地殻変動の時代を迎えている。TSMCの動向は、その震源であり続ける。そして、その揺れは、遠く離れた日本を含むすべての国の未来戦略にも、静かに、しかし確実に影響を及ぼしているのである。日本自身の半導体戦略もまた、このグローバルな動きと無縁ではいられないことを、我々は改めて認識する必要があるだろう。


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