2009年の深夜、メリーランド大学の大学院生だったNate Orloffは、研究室で一人、コンピュータの画面を見つめていた。コーネル大学のDarrell Schlom教授から送られてきた薄膜の測定データが示した「あり得ない」数値に驚愕し、彼が椅子から跳ね上がった拍子にコンピュータは床に落下してヘッドホンジャックが砕け散った。その夜の発見から17年にわたる執念の探求が、このほどひとつの金字塔を打ち立てた。2026年6月、多機関からなる共同研究チームは、マイクロ波電子工学において長年の「聖杯」とされてきた、高い可変性と極低損失を兼ね備えた誘電体材料の開発に成功したことを『Nature Electronics』誌にて報告した。

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見えない電波を形作る「バラクタ」が抱えていた致命的な矛盾

スマートフォンから発せられる電波や、GPS衛星が地上へ届ける微弱な信号。私たちが日常的に利用する無線通信は、空間を飛び交うマイクロ波の周波数や位相を正確に制御することで成立している。その制御を根底で支えているのが「バラクタ(可変容量ダイオード・コンデンサ)」と呼ばれる電子部品である。

バラクタの心臓部には誘電体(絶縁体の一種)が挟み込まれており、電圧を加えることで材料内部の電子やイオンの偏り(分極)が変化する。この分極のしやすさが、コンデンサとしての容量を決定する仕組みだ。通信帯域を動的に切り替えたり、レーダーのビームの向きを電子的に走査するフェーズドアレイアンテナを機能させたりするためには、電圧の増減に対して分極が素早く、かつ大きく応答する「可変性(tunability)」が極めて重要になる。5Gから6Gへと移行し、利用される周波数帯がミリ波などの高周波数領域へとシフトする中、この部材の重要性はかつてなく高まっている。

しかし、材料科学の世界において、高い可変性を追求することは深刻な副作用を招き寄せる。それが「エネルギー損失(dielectric loss)」である。分極を大きく変えられるということは、外部からの力に対して結晶格子内部のイオンがよく動くことを意味する。外部から高い周波数の交流電場(マイクロ波)がかかると、材料内部のイオンは激しく揺さぶられ、その運動エネルギーは原子同士の摩擦に似たプロセスを経て熱へと変換されてしまう。

これは、自動車のサスペンションの設計に似ている。路面の凹凸によく追従する(可変性が高い)柔らかいバネを搭載すれば、車体は頻繁に上下に揺れる。その過剰な揺れを収束させるためにダンパーが働き、運動エネルギーを熱として逃がす(損失)。マイクロ波回路において、信号のエネルギーが熱に変わってしまうことは、通信品質の劣化やデバイスの発熱、そして無駄な電力消費という致命的な結果をもたらす。「よく動くが、熱を出さない」という物理的な矛盾を乗り越えることは不可能に近いと考えられており、1999年に始まったアメリカの国家プロジェクトでも、無数の研究チームがチタン酸バリウムストロンチウムなどをベースにした材料開発に挑んだものの、実用レベルでのトレードオフの打破には至らなかった。

完璧な対称性が阻む壁——Ruddlesden-Popper相というジレンマ

この膠着状態の中で、Schlom教授のチームだけが「Ruddlesden-Popper (RP) 相」と呼ばれる特殊な結晶構造に着目していた。RP相は、チタン酸ストロンチウムのようなペロブスカイト構造のブロックの間に、岩塩構造の層が定期的に挟み込まれた層状の結晶である。この材料の最大の特徴は、高周波帯においてもエネルギーを熱として逃がしにくい、極めて優秀な低損失特性を持つことだ。

だが、RP相材料にはバラクタとして致命的な欠陥があった。理想的な並行平板型(アウトオブプレーン構造)のデバイスを作成するためには、膜の表面から底面に向かって、つまり薄膜に対して垂直方向に電圧をかけた際に分極が変化しなければならない。ところが、RP相の結晶は垂直方向に対して鏡写しのような完璧な対称性を持っている。

対称性が高い空間では、電圧という一方向の力を加えても、結晶構造がその力を均等に受け流してしまい、極性(分極)が生まれない。それは、完全に均整の取れたシーソーの中心に立っているようなものである。右にも左にも傾く理由がないため、シーソーは微動だにしない。そのため、当時の学会では「RP相材料は損失こそ低いものの、永遠に可変性を持つことはない」というのが常識であった。

Orloffが2009年に落としたコンピュータの画面に映っていたのは、特定の方向に沿って電圧をかけた際、RP相材料がわずかに可変性を示したという最初の証拠だった。だが、それは膜の「面内方向(横方向)」でのみ発生する現象であり、実用的な垂直方向(面外方向)のバラクタには応用できなかった。優れた低損失性を維持したまま、どうしても垂直方向に動かないこのシーソーを、どうすれば人為的に傾けることができるのか。

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原子の“積み木”で対称性を破る——17年越しのブレイクスルー

研究チームは、材料そのものの内部ルールを書き換えるという大胆なアプローチに打って出た。コーネル大学の故Craig Fennie准教授らによる理論計算が、ひとつの道筋を示したのだ。特定の組成を持つRP相化合物において、ペロブスカイト層と岩塩層の比率を極限まで精密に制御すれば、結晶の対称性を自発的に破り、垂直方向への強誘電性(分極)を引き出せる可能性があるという予測である。

この理論を現実の物質として具現化するため、研究チームは分子線エピタキシー (MBE) と呼ばれる技術を駆使した。超高真空のチャンバー内で、蒸発させた原子のビームを基板に照射し、文字通り原子を一層ずつ精密に積み重ねていく究極の積み木遊びである。チームは、 で構成されるペロブスカイト層の間に、 の岩塩層を一定の周期 $n$(ペロブスカイト単位セルの数)で挿入した一連の薄膜を成長させた。$n$ の値が8、16、24と変化するごとに、結晶内部の応力や原子の配置が微妙に変化する。

ペロブスカイト構造の電気特性
Ruddlesden-Popper相薄膜の断面構造と理論予測。ペロブスカイト層(青色のひし形)の間に岩塩層(オレンジ色の丸)が周期的に挿入された原子配列が、透過型電子顕微鏡によって鮮明に捉えられている。この人工的な層状構造が結晶の対称性を破り、面外方向の誘電応答を引き出す。(Credit: Bergmann et al., Nature Electronics (2026). DOI: 10.1038/s41928-026-01651-y)

実験の結果、$n=8$ から $n=24$ のRP相薄膜は、理論の予測通りに垂直方向の自発分極(強誘電性)を示した。完全な対称性を持っていたシーソーの片側に重りを乗せ、意図的にバランスを崩すことで、電圧に対して敏感に傾く構造を作り上げたのである。この構造的な工夫によって、電圧をかければ自発的に分極の方向を変化させる面外方向の可変性がついに実現した。

マイクロ波のノイズをいかに測るか——「何もない空間」を測る逆転の発想

材料が完成しても、それが高周波のマイクロ波帯で本当に機能するかを証明できなければ実用化の扉は開かない。ここで立ちはだかったのが、測定技術そのものの限界であった。

最新の通信機器で用いられるような 10 GHz(ギガヘルツ)を超える高周波数帯では、材料の性質を測ろうとしても、電極や周囲の配線構造が発する電磁気学的なノイズ(寄生インピーダンス)が測定信号を覆い隠してしまう。研究チームが最初に作成した面外方向デバイスを測定した際も、データは無秩序なノイズに埋もれ、解釈不能な状態に陥った。彼らは「興奮から一転して、絶望のどん底に突き落とされた」と当時を振り返っている。

この壁を突破したのは、NIST(米国国立標準技術研究所)のFlorian BergmannやMeagan Papacらの発想の転換だった。彼らは材料の特性を直接測ろうとするのではなく、「何もない」を測る手法を開発したのである。誘電体を含まないダミーの電極構造(コントロール構造)を作成し、その「空の構造」が引き起こす高周波帯特有のノイズの振る舞いを徹底的に測定した。その上で、実際のデバイスの測定データから、空の構造のノイズ成分を数学的に引き算したのだ。

この高度な較正技術を適用した瞬間、ノイズだらけだったグラフの上に、材料の真の誘電応答を示す美しい曲線が浮かび上がった。17年間に及ぶ探求が実を結び、材料が持つ真の性能が測定機器のディスプレイに可視化された瞬間であった。

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10倍の性能指標が切り拓く次世代通信への道筋

測定結果は、マイクロ波電子工学の常識を覆すものであった。新しいRP相薄膜は、室温環境下において、10 GHzという高周波数帯でも極めて低いエネルギー損失を保ちながら、確かな可変性を示した。特に $n=8$ の構造を持つ薄膜は、可変性と損失のバランスにおいて最も優れた特性を発揮した。

特性 従来の高性能薄膜 () 新開発のRP薄膜 ($n=8$)
動作に必要な外部電場 830 kV/cm 250 kV/cm
周波数帯域 10 GHz 10 GHz
誘電体可変性 FoM (相対値) 基準 (1x) 約10倍 (10x)

表が示す通り、新開発のRP薄膜は、かつての高性能薄膜と比較して3分の1以下の駆動電圧(250 kV/cm)で動作する。これはデバイスの消費電力を劇的に引き下げる要因となる。さらに、可変性と低損失性を総合的に評価する性能指数(Figure of Merit: FoM)において、同じ電場条件下で従来材の10倍という圧倒的な飛躍を記録した。

産業的観点から重要なのは、この材料が 10 mm 四方のチップ上のどの場所を測定しても、極めて均一な特性を示したことだ。強誘電体材料は一般に空間的な特性のばらつきが生じやすいが、新材料の均一性は、工場で大量生産する際の歩留まりや信頼性を担保する強力な武器となる。

今回の成果により、低損失かつ高可変な誘電体の設計という長年のパズルはひとつの完成を見た。現状では、下部電極に用いているルテニウム酸ストロンチウム()の電気抵抗が高く、バラクタ素子全体としてはまだ電極由来のエネルギー損失が残っている。真の実用化に向けては、リフトオフプロセス等の技術を用いて、このRP相薄膜を導電性の高い金属電極の上に無傷で転写する技術の確立が数年以内の課題となる。

この転写技術が確立し、既存のシリコンベースの集積回路への統合が進めば、私たちの生活には具体的な変化が訪れる。第一に、スマートフォンのバッテリー寿命の劇的な延長である。アンテナモジュール内のエネルギー損失が最小化されることで、より少ない電力で基地局と安定した通信が行えるようになる。第二に、低軌道衛星通信網を支えるフェーズドアレイアンテナの大幅な小型化と低価格化だ。従来は消費電力が大きく高価な部品を多数並べる必要があったが、新材料を用いたバラクタにより、一般家庭の屋根や自動車のルーフに違和感なく搭載できるコンパクトなアンテナの構築が可能になる。

対称性の破壊というミクロな世界での幾何学的な操作が、我々の日常を包むマクロな電波の質を変える。素材のルールの書き換えから始まったこの革新は、来るべき情報インフラの姿をどのような形へとデザインし直すのだろうか。