半導体不足のニュースが流れるたび、読者はまず「TSMCは無事か」を気にしてきた。だが2026年7月28日16時27分に熊本県熊本地方を襲ったM7.1の「令和8年熊本地震」は、その問い自体が的外れだったと示した。TSMC子会社のJASM(菊陽町、震度5弱)は建屋損傷なしを確認し段階的に操業を再開した一方、コータ/デベロッパ(フォトレジストの塗布・現像装置)で世界シェア91%を握る東京エレクトロン九州(合志は震度5強、大津は震度6弱)は、7月29日を終日の稼働停止に充てた。TSMC熊本の生産能力は同社全体の3%未満とされる。装置の供給網では、その小さな拠点を支える東京エレクトロン九州の方が立場は大きい。

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震度7が半導体拠点を襲った7月28日、両社が下した初動の判断

気象庁は2026年7月28日16時27分頃、熊本県熊本地方を震源とする地震が発生したと発表した。震源の深さは約10km、規模はM7.1(速報値)で、宇城市と氷川町で最大震度7を観測した。気象庁はこの地震を「令和8年熊本地震」と命名し、有明海や八代海の沿岸には津波注意報を出したうえで、今後1週間、特に発生から2〜3日は最大震度7程度の地震に改めて注意するよう呼びかけた。震度の内訳は拠点ごとに異なり、菊陽町久保田で5弱、大津町大津で6弱、合志市竹迫で5強を記録している。

人的被害の全容は2026年7月29日時点でも流動的だ。高市首相は7月29日8時30分の記者会見で死者13人という数字を示しつつ、「人的被害や物的被害については現在も確認中」と述べた。熊本県は同日9時30分の発表で、建物倒壊による死者3人、心肺停止者5人としている。心肺停止は医学的な死亡確定を意味せず、数字は今後も動く可能性が高い。

TSMC(台湾積体電路製造)子会社のJASM(菊陽町)は避難基準に基づき全従業員を避難させ、点呼で安否を確認した。TSMCは声明で「全職員は避難基準に基づき避難し、施設内の全員の安全を確認した。構造点検の結果、建屋の安全性に影響する損傷は確認されなかった」としており、第1工場は構造点検を経て段階的に操業を再開した。建設中の第2工場も地震そのものによる影響は確認されていないが、余震への警戒から一部作業を停止している。

一方、東京エレクトロン九州(合志と大津の2事業所)は公式リリースで「現時点において、建物・設備に大きな損害は確認されておりません。明日は安全を最優先し、両事業所の稼働を停止し、安全点検をおこないます」と発表し、7月29日は終日の稼働停止を選んだ。建屋損傷が確認されていない点はJASMと共通するが、判断は正反対だった。この差がどこから生まれたのかが、次の焦点になる。

震度5弱と6弱、同じ地震でも明暗を分けた理由

気象庁の震度階級で5弱から6弱への変化は、体感や物の動きの点で連続的だが、精密機器にとっての意味は連続的ではない。半導体工場のクリーンルームには露光装置やコータ/デベロッパ(フォトレジストを回路基板に塗布・現像する装置)といった、ナノメートル単位の位置合わせを前提とする装置が並ぶ。こうした装置は基礎から数ミリ単位でもずれれば校正が必要になり、建屋そのものに構造的な損傷がなくても、装置単体の点検・再校正という別の作業が発生する。コータ/デベロッパの位置ずれは、後工程の露光装置によるパターン形成の合わせ精度を悪化させ、回路の断線や短絡といった歩留まり低下に直結するため、目視で異常が見当たらなくても点検を省略できない性質を持つ。

東京エレクトロン九州がリリースで「安全を最優先し」と述べたのは、この装置単位の点検を指していると読める。震度6弱を記録した大津事業所は、震度5弱だった菊陽町のJASMより強い揺れを受けた分、装置の位置ずれや校正のずれを個別に確認する作業量が増える。建屋の耐震性という基準では両社とも「損傷なし」で一致しても、装置一台ごとの再校正という基準で見ると、震度1段階の差が丸1日の稼働停止という判断の違いにつながった。装置の台数が多い工場ほど点検対象も増えるため、震度差はそのまま点検所要時間の差として現れやすい。

半導体工場が一般的な工場より慎重な初動を取るのは、この業界特有の設計思想も背景にある。最新鋭ファブの多くは建屋自体に免震・制震構造を採用するほか、露光装置やコータ/デベロッパのような主要装置を個別のアクティブ除振台に載せ、建屋の揺れとは切り離して微振動を打ち消す設計にしているが、震度6弱級の強い横揺れはこの除振機構が想定する許容範囲を超えうる。建屋・床・装置という3段構えの対策はいずれも「壊れない」ことは保証しても「装置の精度が保たれる」ことまでは保証しない。東京エレクトロン九州が建屋の無事を確認した直後に、あえて丸1日の停止を選んだ判断は、この基準のずれを踏まえたものだったと考えられる。

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TSMCの3%より東京エレクトロン九州の91%が問題だった

主要な報道の多くは、TSMC熊本の生産能力が同社全体の3%未満という数字を強調し、「TSMC本体への影響は限定的」という論調で今回の地震を伝えた。この数字自体は誤りではない。ただし、3%という割合が測っているのは「TSMC一社の生産量のうち熊本が占める比率」であり、影響の範囲をそこで区切ってよいかどうかは別の問題だ。

東京エレクトロン九州が担うコータ/デベロッパの世界シェアは91%とされ、熊本が事実上唯一の生産拠点になっている。この91%が測っているのは「TSMCの生産量のうち熊本が占める比率」ではなく、「世界中のあらゆる半導体工場が使うコータ/デベロッパのうち熊本製が占める比率」だ。分母が違う2つの数字を並べて「3%だから小さく、91%だから大きい」と単純化することはできないが、影響が及ぶ範囲では91%側の方が広い。TSMC熊本が止まって困るのはTSMC1社だが、東京エレクトロン九州が止まって困るのは、TSMC以外も含めた世界中の半導体メーカーになる。

JASMはTSMCが過半数を出資し、ソニーセミコンダクタソリューションズとデンソー(トヨタも将来出資を予定)が少数株主として名を連ねる合弁だ。手がけるのは28/22nmや16/12nmといった成熟プロセスが中心で、TSMCの最先端2/3nmプロセスの大半は台湾本土に残る。この規模の拠点であっても、TSMC自身の生産分散という観点では熊本は小さな駒にすぎず、真に単一障害点になっていたのは装置側だったことになる。

JASMが手がける成熟プロセスは、自動車や産業機器向けの需要が中心になる。少数株主にデンソーが名を連ね、トヨタも将来出資を予定している点は、この工場が国内自動車産業の部品調達網を支える性格が強いことを示している。トヨタの主要工場が今回の地震で余震により再停止した事実は、この工場が支える産業と、地震で止まった産業が同じ地域に重なっていたことを裏付けている。

TSMCが台湾以外にも米国と日本へと生産拠点を分散させてきたのに対し、東京エレクトロンは開発から量産までを熊本1拠点に集約する体制を長年続けてきた。半導体装置の量産は超精密な工程を伴い、拠点を増やすたびに技術者と設備投資が重複するコストが跳ね上がるため、装置メーカーには拠点統合の経済合理性が働きやすい。今回の地震は、その合理性の裏側にあったリスクを可視化した格好だ。

2016年は10日で復旧、2.1兆円拠点が受けた初めての試練

熊本県が大規模地震に見舞われたのは今回が初めてではない。2016年4月には前震(M6.5、4月14日)と本震(M7.3、4月16日)が相次ぎ、211人が死亡した。この2016年の地震では、東京エレクトロン九州は約10日後の4月25日に段階的な生産再開にこぎ着けたが、ソニー熊本(現ソニーセミコンダクタソリューションズ)は完全復旧までに約3カ月を要し、デジタルカメラ用イメージセンサーの供給停滞がカメラ各社に波及した。

TSMCは2021年にJASM設立を発表し、台湾一極集中のリスクを分散する狙いで投資額は約139億ドル(約2.1兆円)に上り、日本政府はここに最大7,320億円を補助してきた。第1工場が量産を開始したのは2024年12月で、稼働からわずか1年半余りで迎えたのが今回の地震だった。JASMという国家戦略拠点にとって、これが初めて経験する大規模地震になる。

2026年7月29日時点で、東京エレクトロン九州の稼働再開時期は未定であり、2016年の「10日」という実績と単純に比較できる段階ではない。ただし、建屋損傷が確認されない段階で自主的に丸1日の稼働停止と安全点検に踏み切った初動の速さは、2016年の教訓を踏まえた対応と見なせる。ソニーセミコンダクタソリューションズも菊陽と合志の両拠点で生産を止めており、2016年と同じ構図が再び試されている。

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東エレク株6.5%安、供給網の余波は自動車・カメラにも広がる

市場は東京エレクトロン九州の停止をTSMCの被害以上に深刻に受け止めた。TSMC株は台湾市場で終値ベース2.98%下落し、米国のADR(米国預託証券)もプレマーケットで一時2.64%まで下げた。これに対し東京エレクトロンの株価は7月29日、前日比6.50%安の5万2280円まで下落し、日経平均株価をこの1銘柄だけで約559円押し下げた。同じ地震を受けた2社で株式市場の反応の大きさが逆転した事実は、装置サプライチェーンの集中リスクが投資家にも意識され始めていることを示している。

影響は半導体分野の2社以外にも広がった。ソニーセミコンダクタソリューションズ(菊陽町と合志市)、ルネサスエレクトロニクス(川尻と錦の両工場)、三菱電機(合志市と菊池市の2工場)も生産を停止した。ルネサス錦工場では天井パネルの落下や壁面のひび割れが確認されたが、空調・電力供給は正常に機能しているという。TOPPAN(玉名市)や富士フイルム九州(菊陽町)も操業を止めており、熊本県内のサプライチェーンは面的に停止する事態になった。

自動車業界への波及も広がっている。トヨタは一部工場の再開後、余震を受けて福岡県内の3工場を再び停止し、ホンダもオートバイ工場を含めて稼働停止を続けている。日本の読者にとっての実感は、東京エレクトロンや関連する国内半導体銘柄の株価という形で真っ先に表れる。ソニー製イメージセンサーを搭載するスマートフォンやカメラの供給が細れば、影響はそちらにも及ぶ。日本政府が7,320億円を投じた国家戦略の是非は、平時の会見よりも、こうした有事の初動でこそ問われることになる。

個人投資家にとっての実感値で言えば、東京エレクトロンの6.50%という下落率は、TSMCの株価下落率(台湾市場2.98%、米国ADR2.64%)よりも大きい。日本の株式市場という観点では、装置メーカー1社の停止が指数全体を動かした今回の反応は、平時にはあまり意識されない装置の集中リスクを可視化した出来事だったと言える。東京エレクトロンが決算などでこの停止の影響額を開示すれば、株価が織り込む材料も増えるはずだ。

NISAやiDeCoで日経平均連動型の投資信託を保有する読者にとっても、この動きは無関係ではない。日経平均は値がさ株の影響を強く受ける指数であり、東京エレクトロンはその代表格の一つに数えられる。1銘柄の急落が指数全体を約559円押し下げたという事実は、装置の集中リスクが個人の資産運用にも波及しうることを示している。

供給網正常化の条件、東京エレクトロン九州の次の一手

東京エレクトロン九州の再開時期は2026年7月29日時点で未定だ。供給網の不安が解消に向かうには、2つの条件がそろう必要がある。東京エレクトロン九州が両事業所の安全点検を終えて再開時期を公表すること、そして気象庁が警戒を呼びかける余震活動が実際に沈静化することだ。JASM第2工場の建設作業が余震対策を解除して本格再開するかどうかも、2.1兆円プロジェクトの遅延リスクを測る指標になる。ソニーセミコンダクタソリューションズや三菱電機など周辺各社の生産再開状況も、熊本のサプライチェーンが面としてどれだけ早く立ち直るかを示す材料になる。

ソニーセミコンダクタソリューションズの復旧ペースも注視点になる。2016年は完全復旧まで3カ月を要し、その間にデジタルカメラ用センサーの供給が滞った。今回、同社が同水準の期間を要するのか、それとも積み重ねてきたBCP(事業継続計画)投資で短縮できるのかは、次の生産再開の発表や決算で明らかになる。

2016年の地震は、TSMCがまだ日本に拠点を持たない時代に起きた。今回の地震でTSMC自身の分散戦略は機能し、JASM自体の被害は軽微にとどまった。だが、その分散を支えているはずの装置サプライチェーンには、91%という集中がなお残っている。東京エレクトロン九州の再開が正式に発表される日、国家戦略拠点JASMを陰で支えていた装置という一段深い層の耐震性が、数字で初めて検証されることになる。