米国が主導するAI・半導体サプライチェーン構想「Pax Silica」は、オランダの正式参加によって、理念型の経済安全保障構想から、半導体製造装置の中枢をどう扱うかという実務の段階に踏み込んだ。米国務省は2026年6月23日、オランダ王国のPax Silica参加に関するJacob Helberg経済担当次官の発言を公開した。同じ日に、欧州連合、ドイツ、ギリシャの参加に関する発言も公開している。

この動きが重いのは、オランダの参加がASMLを通じて製造装置の実務に届くからだ。ASMLは自社の年次報告書で、EUVリソグラフィ装置を製造する世界唯一の企業だと説明している。EUVは最先端チップの微細な層を高密度に形成する装置で、DUVの複数回露光より工程を簡素にし、歩留まりや拡張性を改善できる。一方でDUVは、チップの大半の層を作る「業界の主力」と位置づけられている。オランダの参加は、Pax Silicaを先端AIチップだけでなく、広い半導体製造工程の統制問題へ接続する。

AD

Pax Silicaは欧州の製造力と規制力を取り込み始めた

米国務省のPax Silicaページは、この構想をAIとサプライチェーン安全保障に関する国務省の旗艦的取り組みと位置づけている。対象は、重要鉱物、エネルギー、先端製造、半導体、AIインフラ、物流まで広い。宣言文は、参加国が投資審査、インフラ、インセンティブをめぐる協力を深め、信頼できる技術エコシステムを育てるという内容だ。

国務省が掲載する署名主体は、オーストラリア、欧州連合、フィンランド、ドイツ、ギリシャ、インド、イスラエル、日本、オランダ、ノルウェー、カタール、韓国、シンガポール、スウェーデン、フィリピン、アラブ首長国連邦、英国の17主体に広がっている。台湾は非署名参加者として、別の米台共同声明を通じてPax Silica宣言の原則を支持したとされる。

6月25日から26日にかけて米国務省で開かれるPax Silica Summitの案内は、参加者に既存の署名主体、関連する経済圏の代表、AI時代の技術を構築・資金供給する企業幹部を含めるとしている。会合の焦点も、信頼できるAIサプライチェーン、投資、重要鉱物、エネルギー、半導体、計算インフラの協力へ置かれている。政府間の宣言だけで終わる枠組みではなく、資本、装置、エネルギー、データセンターを一体で扱う場にする設計だ。

欧州の参加が意味を持つのは、欧州が市場であると同時に規制主体でもあるためだ。ASMLは2025年の年次報告書で、2025年11月に欧州連合が一部のオランダ国内規制をEU規制リストへ取り込み、EU域外へ輸出される特定の半導体製造装置にライセンス要件を広げたと説明している。その対象には、同社のDUV液浸リソグラフィ装置のような先端システムも含まれる。ただしASMLにとっては、これらの製品はすでにオランダから輸出ライセンスが必要だったため、同社自身の運用に新しい変更をもたらすものではなかった。

オランダの価値はASMLのEUV独占だけでは測れない

Helberg氏はオランダ参加に関する発言で、オランダはPax Silicaの最初の会合から同席していた国であり、今回の発表は「最初から真実だったパートナーシップ」を名指しで正式化するものだと述べた。発言の中で同氏は、ロッテルダム港に加え、オランダが「地球上で最も高度なリソグラフィ供給網」を握っていると表現している。

その評価は、ASMLの製品構造を見ると分かりやすい。ASMLのEUV装置は最先端のロジックやメモリに使われる一方、同社のDUV装置は193nmのArF、248nmのKrF、365nmのi線まで幅広い露光波長を扱い、多くの市場セグメントを支える。DUV液浸装置はEUV装置と同じチップの異なる層を印刷する用途にも使えるため、EUVだけを押さえれば製造装置問題が片付くわけではない。

ASMLの2025年実績は、この会社が政策上の焦点になる理由を数字でも示している。同社の2025年の総売上高は326億6,730万ユーロ、粗利益率は52.8%、販売システム数は535台だった。リソグラフィシステムの販売台数は327台で、EUVシステムの売上計上は48台にとどまる。販売台数の上では、DUVを含む非EUV領域の厚みが大きい。

中国との関係も避けられない。ASMLの地域別売上を見ると、2025年の中国向け売上は95億1,970万ユーロで、総売上高の29.1%を占めた。2024年の36.1%からは低下したが、依然として大きい。ASMLはリスク要因として、オランダ、米国、EUなどの輸出規制が、売上量、製品構成、売上計上の時期に重要な影響を与えうると明記している。2026年第1四半期の発表でも、同社は2026年通期売上高を360億から400億ユーロと見込み、その幅には輸出規制をめぐる継続中の議論がもたらす結果を織り込んでいると説明した。

AD

MATCH Actは協調が崩れた場合の米国側の手順を定める

Pax Silicaの文面は、信頼できるパートナー間の協力や投資を前に出す。米議会で提出されているMATCH Actは、同盟国の装置規制がそろわない場合に米国がどのように圧力をかけるかを制度として書き込んでいる。正式名称は「Multilateral Alignment of Technology Controls on Hardware Act」で、2026年4月13日にPete Ricketts、Andy Kim、Jim Risch、Chuck Schumerの各上院議員が提出した。

法案は、半導体製造装置とその部品に関する輸出制限を目的としている。議会の認識として、米国と同盟国は先端ノードIC、それを設計・製造する装置やソフトウェアで優位を持つが、現行の輸出管理には抜け道があり、米国の敵対国がそれを利用しているとする。対象企業として、ChangXin Memory Technologies、Hua Hong Semiconductor、Huawei Technologies、SMIC、Yangtze Memory Technologiesなどの名前も法案本文に入っている。

手順は具体的だ。成立から60日以内、以後は毎年、商務省と国務省の担当者が対象装置と対象施設を特定する。成立直後から同盟供給国に対し、対象半導体製造装置への国別規制や、対象施設への輸出・サービス提供にライセンスを求める政策の採用を働きかける。90日以内には、外交努力の状況、採用を促す積極的なインセンティブ、まだ規制を採用していない国などを議会へ説明する。

法案の強制力が表れるのは150日後の処理にある。米国自身の装置には国別規制を適用し、懸念国にある対象施設には広範なエンドユーザーまたはエンドユース規制を適用する。同盟供給国が同等の規制を採用せず、外交手段を尽くしても失敗し、遅延が米国の国家安全保障を損なうと認定された場合、商務省は国務省と協議して、その同盟国から輸出される対象装置にも米国の管轄を及ぼし、規制をかける。

対象はEUVではなくDUV液浸装置とサービスまで広がる

MATCH ActがASMLやオランダに関係するのは、対象がEUVに限られないためだ。法案上の対象半導体製造装置には、少なくとも、すでに懸念国向け輸出にライセンスが必要な半導体製造装置、材料、ソフトウェアに加え、すべてのDUV液浸フォトリソグラフィ装置、TSVの成膜・エッチング装置、極低温エッチング装置、コバルト成膜装置、ECCN 3B993に指定される装置が含まれる。

対象品目の定義は米国原産品だけにとどまらない。米国原産ソフトウェアや技術の直接製品、米国原産含有比率がゼロを超える外国製品、米国規制対象の技術・ソフトウェア・装置を使って設計または製造されたと推定されるICを含む外国製品も含まれる。完成品が米国外で作られていても、米国技術や部品の関与を足がかりに規制範囲を広げる設計だ。

サービスも対象になる。法案は「servicing」を、設置、調整、修理、オーバーホール、試験、診断、ソフトウェアやファームウェア更新、訓練、フィールドサービス、アプリケーション支援、トラブルシューティング、保守に関する業界慣行の移転まで含む広い概念として定義している。半導体製造装置は売って終わりではなく、稼働率、調整、部品、ソフトウェア、現場支援で性能が決まる。装置本体とサービスを同時に縛る設計は、既存設備を使い続ける能力にも触れる。

ASMLの年次報告書も、同社が特定のEUVシステム、特定のDUV液浸システム、その他一部製品について、オランダ、米国、その他適用法に基づく輸出ライセンスを取得する必要があると説明している。米国の措置には、中国の特定企業との取引に関するライセンス要件や、中国の先端ノード工場向け非米国原産品への米国人支援制限も含まれる。装置そのもの、米国技術、サービス、人の関与が絡むため、規制の効果は単純な輸出禁止より複雑になる。

AD

次の焦点は任意の連携と米国法による規制圧力にある

オランダのPax Silica参加は、米国にとって外交上の成果である。Pax Silicaの宣言は、過度な依存を減らし、信頼できるパートナーとの接続を増やし、不公正な市場慣行や過剰供給に対処するという言葉で構成されている。ASMLを抱えるオランダがそこへ名を連ねたことで、AIサプライチェーン構想は製造装置の実務と結びついた。

Pax Silicaへの参加は、MATCH Actの内容を各国がそのまま受け入れたことを意味しない。現時点で確認できるのは、オランダがPax Silicaに参加し、国務省がそれを正式に発表したという事実である。MATCH Actは提出済みの法案であり、成立した法律ではない。ここを混同すると、協力枠組みと強制力を持つ国内法案の関係を見誤る。

両者は別々の話ではない。Pax Silicaが同盟国に投資と協力の入口を作るなら、MATCH Actは規制がそろわない場合の出口を米国側に用意する。オランダ、EU、ドイツ、ギリシャの参加によって、Pax Silicaは欧州の市場、港湾、製造装置、規制力を取り込む形になった。次に問われるのは、その枠組みがどこまで自主的な政策協調で動き、どこから米国法による装置・サービス規制へ近づくかである。

半導体装置政策は、AIチップ輸出規制より地味に見えるが、チップを作る能力そのものを左右する。EUVの新規導入、DUV液浸装置の更新、既存装置の保守、ソフトウェア更新、現場支援のどれかが止まれば、影響は新規投資だけでなく既存工場の運用にも及ぶ。オランダの参加でPax Silicaは大きな一歩を進めたが、本当の試金石は、ASMLのような企業を抱える国が、成長市場へのアクセスと同盟国の安全保障要求をどの水準で折り合わせるかにある。