AI(人工知能)時代の覇権争いが激化する中、AMDが満を持してオープンソースソフトウェアスタックの最新版「ROCm 7」を発表した。今回のバージョンアップでは、次世代データセンターGPU「MI350シリーズ」への最適化、AI推論性能の最大3.5倍向上、そして待望のWindowsサポートが実現しており、NVIDIAが独占するAIソフトウェア市場に風穴を開けんとするAMDの確かな野心が感じられる。これは技術仕様の更新を超え、AIエコシステム全体の勢力図を塗り替えるAMDの壮大な戦略の一端なのだ。
ROCm 7がもたらす衝撃:数字の奥に潜む真実

AMDが「Advancing AI 2025」で発表したROCm 7は、一見すると順当な性能向上を謳うものだ。その柱は以下の通りである。
- 推論性能の飛躍的向上: ROCm 6比で最大3.5倍の性能向上を達成。具体的には、Llama 3.1 70Bで3.2倍、Qwen2-72Bで3.4倍、Deep Seek R1では3.8倍という目覚ましい数字が並ぶ。
- 次世代ハードウェアへの最適化: 新発表のフラッグシップGPU「Instinct MI350」シリーズに完全対応。AI推論の効率を極限まで高めるFP4やFP6といった先進的な低精度データ型をフルサポートする。
- NVIDIAへの直接対決: 最も注目すべきは、Instinct MI355XとROCm 7の組み合わせが、NVIDIAの最新鋭Blackwell B200プラットフォームを相手に、DeepSeek R1モデル(FP8スループット)で30%高速であると主張している点だ。


しかし、この「ROCm 6比」という比較は、必ずしも最新版のROCm 6.4.1を基準にしたものではなく、各AIモデルのサポートが初めて導入された時点のバージョンとの比較である可能性が示唆されている。つまり、この性能向上には、ROCm 6.x系列で積み重ねられてきた改善も含まれている公算が大きい点には注意が必要だ。
とはいえ、この点を差し引いても、AMDのソフトウェア開発が驚異的な速度で進化している事実は揺るがない。特に、NVIDIAが公式にはまだ対応できていない最新モデルで性能優位を示したことは、AMDの戦略の核心を突いている。
真のゲームチェンジャーは「Windows対応」:開発者の裾野を爆発させる一手

性能向上もさることながら、ROCm 7が持つ最大の戦略的価値は、「Windowsへの本格対応」にあるだろう。
これまでROCmは、主にデータセンターや研究機関のLinux環境で使われる、いわば専門家向けのツールだった。しかし、8月にONNX-EPフレームワーク経由で、そして第3四半期にはPyTorchをサポートすることで、ROCmはついに世界で最も普及しているOSの門戸を叩く。
これが何を意味するのか? それは、これまでCUDA一択だった数百万人のWindows開発者、研究者、そしてホビイストたちが、初めてAMDのGPUをAI開発の本格的な選択肢として検討し始めるということだ。これは単なる機能追加ではなく、AMDが自社のエコシステムへと通じる「巨大な玄関」を、NVIDIA帝国の城壁の目の前に築くことに等しい。
さらにAMDは、「ROCm everywhere for everyone(ROCmを、すべての人へ、どこへでも)」という壮大なビジョンを掲げる。データセンターのInstinctシリーズから、ワークステーションのThreadripper、ゲーミングPCのRadeon、そして最新のAI PCを駆動するRyzen AI 300シリーズまで、単一のソフトウェアスタックでカバーするというのだ。
このスケーラビリティは、開発者にとって計り知れない魅力を持つ。「クラウド上の大規模なInstinctクラスタで学習させたAIモデルを、手元のRyzen AI搭載ラップトップでシームレスに推論・チューニングする」といった、かつては夢物語だった開発サイクルが現実のものとなる。これは、NVIDIAも同様の戦略を描いてはいるが、AMDはここに「オープンソース」という強力な武器を持ち込むことで、明確な差別化を図ろうとしているのだ。
思想の戦争:「CUDAの堀」はオープンソースの波に崩れるのか?
「(CUDAは)新しいアーキテクチャにとって堀ではない。新しいカーネル(AIモデル内の関数)をより速く書く者が勝つ。我々はオープンソースと協力するから勝つ」。
AMDのAIソリューショングループ担当副社長、Raimine Roane氏のこの言葉は、AMDの戦略的確信を雄弁に物語っている。DeepSeek R1での性能優位は、まさにこの言葉を裏付ける象徴的な出来事だ。最新AIモデルへの対応で、クローズドなNVIDIAの開発体制に対し、世界中の開発者が参加するオープンソースコミュニティの俊敏性が勝った瞬間だった。
NVIDIAのCUDAが15年かけて築き上げた膨大なライブラリ、ツール群、そして何よりも開発者の「慣れ」という名の分厚い壁は、依然として巨大な参入障壁であることは間違いない。この「堀」を埋めるのは容易なことではないだろう。
しかし、AIの世界そのものが、オープンなモデル(Llama, Qwen)、オープンなデータ、オープンな標準へと急速にシフトしている。この大きな潮流の中で、プロプライエタリでクローズドなCUDAよりも、オープンで透明性の高いROCmの方が、時代の精神とより親和性が高いと考える開発者が増えても不思議ではない。
AMDは、CUDAで書かれたコードを移植しやすくする「HIP」といったツールも整備しており、NVIDIA帝国からの「移住」をあらゆる側面から支援しようとしている。
AI開発の未来を賭けた、壮大なパラダイムシフトの幕開け
ROCm 7の発表は、単なるAMDの新製品ニュースとして片付けられるべきものではない。これは、AI半導体戦争の主戦場が、ハードウェアのスペック競争から、開発エコシステム全体を巻き込んだ「思想とアーキテクチャの競争」へと移行したことを示す、決定的な転換点である。
AMDの挑戦はまだ始まったばかりであり、NVIDIAの牙城を崩すには多くの課題が残されている。しかし、ROCm 7は、AMDが初めてNVIDIAと同じ土俵で、しかも自らが有利と見る「オープンソース」というルールで戦うための、強力な武器を手に入れたことを意味する。
はたしてAMDは、オープンソースの旗手としてNVIDIAのCUDAエコシステムに風穴を開け、AIソフトウェアの勢力図を塗り替えることができるのだろうか。この「ソフトウェア戦争」の行方は、AI時代の未来を大きく左右する重要な局面となることは間違いないだろう。
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