米国の技術的制約が強まる中、中国がスーパーコンピュータ(スパコン)分野における米国技術への依存を断ち切り、国内での完全自給体制構築に向けた大きな一歩を踏み出した可能性が浮上している。中国の半導体メーカーHygon(海光信息技術)とスパコン製造大手Sugon(中科曙光)が合併し、国産技術のみで高性能システムを構築可能な垂直統合型の巨大企業が誕生すると報じられているのだ。特に注目されるのは、Hygonが開発中とされる次世代CPU「C86-5G」の驚異的なスペックであり、これが事実であれば、世界のスパコン勢力図に影響を与える可能性も否定できない。
中国半導体業界に地殻変動:HygonとSugonの戦略的合併
今回の動きの核心は、チップ設計を担うHygonと、それを用いたシステム構築を得意とするSugonの経営統合である。South China Morning Postの報道によれば、この合併は株式交換を通じて行われ、中国国内のコンピューティングサプライチェーンにおける主要プレイヤー2社が一体化することになる。
この合併の背景には、中国政府が進める半導体自給自足戦略と、激化する米中技術摩擦があると見られる。米国は近年、安全保障上の懸念を理由に、中国企業に対する半導体技術や製品の輸出規制を強化しており、HygonとSugonも米国の輸出規制リスト(エンティティリスト)に掲載されている。これにより、両社はAMDやIntel、NVIDIAといった米国企業からの先端技術へのアクセスが制限されている状況だ。
このような逆風の中、両社が垂直統合することで、チップ設計からスパコン製造までを一貫して国内技術で完結させる体制を構築し、サプライチェーンの脆弱性を克服するとともに、国内の旺盛なスパコン需要に応えようという狙いがあると考えられる。この動きは、AWS、Microsoft、Googleといった巨大IT企業が自社データセンター向けに独自チップ開発を進める世界の潮流とも軌を一にするが、中国の場合は国家戦略としての色彩がより濃いと言えるだろう。
中国では2025年に入り「六大合併・買収」の展開やAI需要の急増を背景に、半導体セクターでのM&Aが活発化しており、今回の合併もその一環と見られている。
驚異のスペックを誇るか?Hygon製CPU「C86-5G」の全貌
今回の合併劇において、技術的な観点から最も注目を集めているのが、Hygonが開発中とされるサーバー向けCPU「C86-5G」である。中国国内メディアSina Finance(IT之家経由)などが報じたそのスペックは、現行の主要CPUと比較しても極めて野心的なものだ。
- コア数とスレッド数: 128個の物理コアを搭載し、さらに1コアあたり4つのスレッドを同時に処理できる「SMT4(Simultaneous Multithreading 4-way)」技術に対応することで、合計512スレッドという驚異的な並列処理能力を実現するとされる。これは、一般的なIntelやAMDのCPUが採用するSMT(2-way SMT)の2倍の効率であり、実現すればマルチタスク処理能力の大幅な向上が期待できる。
- IPC(クロックあたりの命令実行数)の向上: マイクロアーキテクチャの改良により、前世代のC86-4Gと比較してIPCが17%以上向上したとされている。これは、単にコア数を増やすだけでなく、個々のコアの処理効率も高められていることを示唆する。
- メモリサポート: 16チャネルのDDR5-5600メモリインターフェースを備え、最大1TBの大容量メモリをサポート。データ集約型のアプリケーションにも対応可能だ。これはC86-4Gの12チャネルDDR5-4800から大幅なアップグレードとなる。
- 接続性: 最新のAMD EPYC 9005やIntel 第5世代Xeonプロセッサと同等のCompute Express Link 2.0 (CXL 2.0) 標準をサポート。前世代のC86-4Gが128レーンのPCIe 5.0を提供していたことを考えると、C86-5Gも同等以上の高速I/O性能を持つ可能性がある。
- AVX-512命令セット対応: 高度なベクトル演算を可能にするAVX-512命令セットもサポートしており、科学技術計算やAI分野での性能向上が期待される。
これらのスペックが真実であれば、C86-5Gは世界のトップクラスのサーバーCPUと肩を並べるか、あるいは一部の性能では凌駕する可能性すら秘めている。
AMD「Zen」アーキテクチャからの独立なるか?
HygonのCPU開発の歴史を紐解くと、米AMDとの関連が浮かび上がる。2016年、AMDはHygon(正確にはその前身企業の一つである天津海光先進技術投資)に対し、初代「Zen」CPUマイクロアーキテクチャとx86-64アーキテクチャのライセンスを供与した。Hygonはこのライセンスを基に「Dhyana」プロセッサシリーズを開発し、中国国内市場に投入。SugonもこのDhyanaプロセッサを採用したスパコンを開発し、世界のスパコンランキングTOP500に名を連ねた実績がある。
しかし、HygonはC86-5Gについて、「新しい自社開発マイクロアーキテクチャ」を採用していると主張しており、AMDの技術ライセンスに依存した状態からの脱却を目指している姿勢がうかがえる。これが完全に独自の設計なのか、あるいはZenアーキテクチャをベースに大幅な改良を加えたものなのか、詳細は現時点では不明だが、中国が基幹技術の国産化に向けて着実に歩を進めていることの証左と言えるかもしれない。
米国輸出規制下の活路と中国国内市場の期待
HygonとSugonの合併、そしてC86-5Gのような高性能CPUの開発は、米国の輸出規制という厳しい外部環境の中で、中国がいかに活路を見出そうとしているかを示している。エンティティリストへの掲載は、両社にとって海外からの先端技術調達を困難にしたが、一方で国内技術へのシフトを加速させる触媒となった可能性も否定できない。
この新しい垂直統合企業は、中国国内の政府機関、研究機関、そしてAIやビッグデータを活用する企業からの大きな期待を集めるだろう。中国政府はAIとビッグデータを活用して社会のあらゆる側面を向上させる計画(軍事利用も含む)を立てており、国産高性能コンピューティングリソースの確保は国家的な優先事項となっている。
真の「国産化」への道のり
今回の発表は、中国の半導体およびスパコン開発能力が新たな段階に入ったことを示唆している。しかし、いくつかの疑問点も残る。
第一に、発表されたC86-5Gのスペックはあくまで計画値であり、実際の製品がどの程度の性能を発揮するのか、そして量産体制が確立できるのかは未知数である。特にSMT4のような先進技術の安定的な実装は技術的なハードルが高いと予想される。
第二に、「自社開発アーキテクチャ」の中身である。完全にスクラッチから開発されたものなのか、あるいは既存のアーキテクチャに大幅な変更を加えたものなのか、その詳細が明らかにされない限り、真の技術的独立性を評価するのは難しい。
第三に、ソフトウェアエコシステムの問題だ。高性能なハードウェアを開発できたとしても、それを最大限に活用するためのソフトウェア(OS、コンパイラ、ライブラリなど)が伴わなければ、その能力は十分に発揮されない。この点に関するHygonやSugonの取り組みも注目される。
とはいえ、中国が国家を挙げて半導体技術の自立を目指していることは明らかであり、HygonとSugonの合併はその象徴的な出来事と言えるだろう。今後、この新しい「国産スパコンの巨人」がどのような製品を市場に投入し、世界の技術覇権争いにどのような影響を与えていくのか、目が離せない状況が続きそうだ。
Sources
- South China Morning Post: Sugon, Hygon merger is latest sign of consolidation in China’s computing sector
- 工商時報
- Sina Finance