2025年後半、半導体業界は新たな時代の幕開けを迎えようとしている。絶対王者TSMCと、猛追するSamsung Electronicsが、次世代の心臓部となる「2ナノメートル(nm)プロセス」での量産開始に向け、熾烈な競争の火蓋を切ったのだ。AI(人工知能)の爆発的進化が世界の産業構造を塗り替えようとする中、その頭脳となる最先端チップの製造覇権を賭けた、地政学的な意味合いをも帯びた決戦である。この戦いの行方を占う上で、避けては通れない核心的な指標がある。それが「歩留まり率(Yield Rate)」だ。どれだけ優れた設計図があろうとも、それを安定的に、かつ経済的なコストで製品化できなければ意味がないからだ。
2025年後半、2nm時代の幕開け – 三者三様の戦略
半導体業界のロードマップは、2025年後半に大きな転換点を設定している。主要プレイヤーたちが一斉に次世代プロセスへの移行を宣言しているからだ。
- TSMC(台湾): 揺るぎなきファウンドリ(半導体受託製造)の盟主。2025年後半に2nmプロセスの量産を開始する計画だ。新竹の宝山と高雄の新工場がその舞台となる。彼らにとって最大の技術的挑戦は、この2nm世代で初めて「GAA(Gate-All-Around)」と呼ばれるトランジスタ構造を導入することにある。
- Samsung Electronics(韓国): 総合電機メーカーにして、ファウンドリ市場の万年2位。TSMCと全く同じ、2025年後半の2nm量産開始を目標に掲げる。既に2026年初頭に発売が噂される自社スマートフォン「Galaxy S26」向けのアプリケーションプロセッサ「Exynos 2600」が、その最初の製品になると見られている。
- Intel(米国): かつての半導体皇帝。TSMCとSamsungを飛び越える「1.8nm(インテルは”18A”と呼称)」プロセスで、ファウンドリ事業の復活に社運を賭ける。こちらも2025年後半の量産を目指しており、失地回復への執念を燃やしている。
各社が同じタイミングで次世代技術の量産をぶつけてくる構図は、極めて異例だ。これは、AIや高性能コンピューティング(HPC)向けチップの需要が、もはや待ったなしの状態にあることを示唆している。そして、この三つ巴の戦いの初期段階における勝敗を最も明確に映し出す鏡が、歩留まり率なのである。
勝敗の分水嶺、「歩留まり率」という名の心臓部
歩留まり率とは、製造したチップのうち、良品として出荷できるものの割合を指す。この数値は、企業の収益性、顧客への供給能力、そして技術的成熟度を測る最も重要なバロメーターだ。
複数の業界情報筋からの報道を総合すると、各社の現状は対照的だ。
TSMC:安定の「60%超え」
業界の情報を総合すると、TSMCの2nmプロセスの歩留まり率は、すでに量産の安定化の目安とされる「60%」を超えていると報じられている。これは驚異的な数字だ。初めてGAAアーキテクチャを導入するにもかかわらず、これほどの高い初期歩留まりを達成していることは、TSMCの圧倒的な技術開発力と製造ノウハウの厚みを見せつけている。この安定性が、AppleやNVIDIAといった巨大テック企業がTSMCに絶大な信頼を寄せる最大の理由である。
Samsung:苦闘の「40%」、目標は「50%超え」へ
一方のSamsungは、より厳しい状況にある。複数の韓国メディアは、同社の2nmプロセスの歩留まり率が現在「約40%」程度であると報じている。しかし、別の報道では、当初30%台だったものが改善を続け、現在は「50%達成を目指している」段階にあるとも伝えられている。これは、Samsungが苦しみながらも、必死に課題を克服しようとしている姿を浮き彫りにする。量産レベルには最低でも70%程度の歩留まりが必要とされるため、目標達成までの道のりは決して平坦ではない。この歩留まり率の差が、現時点での両社の競争力格差を如実に物語っていると言えるだろう。
この歩留まり率の差は、単なる数字以上の意味を持つ。歩留まりが低いということは、同じ数の良品を作るためにより多くのウェハーを投入せねばならず、製造コストが跳ね上がることを意味する。それは価格競争力で不利になるだけでなく、顧客が求める量を安定して供給できないリスクにも直結する。
技術アーキテクチャ「GAA」- Samsung先行の利は活かせるか?
今回の技術競争のもう一つの主役が、GAA(Gate-All-Around)アーキテクチャだ。
従来のFinFET構造に代わるこの新技術は、電流の通り道となるチャネルの四方をゲートで囲むことで、リーク電流(漏れ電流)を劇的に抑制し、より少ない電力で高い性能を引き出すことができる。微細化が限界に近づく中で、さらなる性能向上を実現するための切り札とされている。
ここで興味深いのは、Samsungの戦略だ。彼らは競合に先駆け、現行の3nmプロセスからGAAを導入した。これは「先行者利益」を狙った野心的な賭けだった。しかし、その代償として初期の歩留まり率の低さに苦しめられたことは周知の事実だ。
Samsungとしては、この3nmでの苦い経験を糧に、2nmでは製造の安定性を確立したい構えだ。いわば、「先行投資」を回収するフェーズにある。もしSamsungがGAAのノウハウを完全に習得し、歩留まりを劇的に改善できれば、TSMCに対して技術的なアドバンテージを主張できる可能性もゼロではない。
対するTSMCは、3nmでは実績のあるFinFETを改良した「FinFlex」で安定供給を優先し、満を持して2nmでGAAを導入する。この石橋を叩いて渡るような堅実なアプローチが、結果として高い初期歩留まり率につながっている。まさに両社の企業文化の違いが戦略に表れていると言えよう。
顧客獲得競争の最前線 – Apple、NVIDIAはどちらを選ぶのか
最終的に、この技術競争の審判を下すのは顧客だ。特に、Apple、Qualcomm、NVIDIA、AMDといった、世界のテクノロジーを牽引する巨大企業がどちらのファウンドリを選ぶかは、業界のパワーバランスを決定づける。
市場調査会社TrendForceによれば、2025年第1四半期のファウンドリ市場シェアはTSMCが67.6%と他を圧倒する一方、Samsungは7.7%に留まっている。この数字が示す通り、現状ではほとんどの主要顧客がTSMCに依存している。
TSMCのC.C. Wei会長は、「2nmの需要は、過去の3nmや5nmの時を上回るペースで立ち上がっている」と述べ、スマートフォンとHPCの両分野から強い引き合いがあることを明らかにしている。市場調査会社Counterpoint Researchも、TSMCの2nm生産ラインは今年第4四半期にはフル稼働に達すると予測しており、その顧客リストにはApple、Qualcomm、MediaTek、AMD、そして競合でもあるIntelの名前まで挙がっている。
Samsungの最大の課題は、この牙城をいかに切り崩すかだ。自社のExynosチップだけでなく、外部の大口顧客を獲得できなければ、巨額の投資を回収することは難しい。最近、元TSMC幹部のMargaret Han氏を米国のファウンドリ事業責任者として招聘した人事は、北米の巨大テック企業への食い込みを本気で狙う戦略の表れだろう。
そして、この競争にIntelが加わることで、構図はさらに複雑化する。Intelは18AプロセスでMicrosoftのような大口顧客を獲得したと発表しており、国家的な後押しを受けながら、TSMCとSamsungの両社にとって無視できない存在となりつつある。
微細化競争の先にある「AI時代の覇権」
この2nmを巡る戦いは、もはやスマートフォンの処理速度が少し速くなる、といった次元の話ではない。その本質は、AI時代のコンピューティングパワーを誰が供給するかという、産業の未来を賭けた覇権争いである。
- 戦略的文脈の再確認:
- TSMC: 「信頼と安定」を武器に、顧客との強固なエコシステムを維持・拡大する王者の戦略。
- Samsung: メモリ世界一の地位とファウンドリを連携させ、総合力で挑む挑戦者の戦略。GAA技術での先行が、逆転への唯一の活路かもしれない。
- Intel: 「製造業の米国回帰」という国家的な追い風を受け、設計と製造の両輪で復活を期す古豪の戦略。
今後の焦点は、Samsungが今後半年から1年で、歩留まり率という「アキレス腱」をどこまで克服できるかに絞られる。もし彼らが安定供給の目処を立てることができれば、顧客はTSMC一社への過度な依存を避けるため、リスク分散の観点からSamsungに発注を振り分ける可能性がある。そうなれば、市場の競争原理が働き、半導体全体の価格安定や供給安定にも繋がるかもしれない。
我々が目にしているのは、単なる企業間の競争ではない。AIという巨大なパラダイムシフトを背景に、世界のテクノロジー・サプライチェーンの未来が、この2nmという極小の世界での戦いによって形作られていく、歴史的な瞬間に他ならないのである。その結末がどうであれ、この熾烈な技術開発競争が、我々の未来を加速させる原動力となることだけは間違いないだろう。
Sources
- The Korean Herald: Samsung, TSMC set stage for fierce race in 2nm chip tech