TSMCが米アリゾナ州における3番目の半導体製造ファブ「Fab 21 Phase 3」の工事を開始したことが判明した。米国商務省によると、建設許可を得た直後に重機が稼働を始めるなど、そのスピード感は特筆すべきものだ。だが、Apple、NVIDIA、AMDなどの大手テック企業が大きな期待を寄せる一方で、技術移転規制や現地労働力の確保といった課題も無視できない。果たして、この巨額投資は米国半導体産業の復権を本格的に牽引できるだろうか。
アリゾナに注がれる期待 – CHIPS法と巨額マネーの行方
TSMCのアリゾナでの動きが加速した背景には、やはり2022年に成立した「CHIPS及び科学法」の存在が大きい。当初650億ドルと見られていた投資額は、今年に入ってTrump大統領と共に発表された追加コミットメントで、一気に1000億ドル、いや1650億ドル規模にまで膨らんだとも報じられている。
これだけの規模であるから、当然、地元経済への波及効果も期待される。ホワイトハウスの見立てでは、これから4年で建設現場に4万人、そしてハイテク分野で数万人の雇用が生まれる可能性があるという。
今回、第3工場の鍬入れ式とも言えるタイミングで、Howard Lutnick米商務長官が現地を訪れた。興味深いのは、Lutnick長官の発言である。「Trump大統領の大胆なリーダーシップと明確な方向性が、企業と雇用を記録的なペースでこの国に戻している」と、CHIPS法には今や反対しているはずのTrump氏の手腕を持ち上げたのだ。政権の色が変わっても、アメリカ国内で最先端の半導体を作る、という目標がいかに重要視されているかが透けて見える。
さらにLutnick長官は、CHIPS法からの補助金を得たいなら、企業はアメリカでの活動をもっと本格化させる必要があるかもしれない、といったニュアンスの発言をしたとも伝えられる。巨額の税金投入と引き換えに、TSMCにも相応の「本気度」を求めている、そんなメッセージなのかもしれない。
次世代プロセスへの渇望 – 2nm、そして1.6nmの世界へ
今回建設が始まった第3工場(Fab 21 Phase 3)。これが単なる生産ライン増設でないことは、計画されている技術を見れば明らかだ。報道によると、この新工場ではTSMCの2nmクラス(N2, N2P)、さらには1.6nmクラス(A16)という、世界最先端のチップを作る準備が進められているというのだ。これがもし現実になれば、アメリカ本土で世界最先端レベルの半導体が作られることになり、まさに産業地図を塗り替える一手となり得る。
この野心的な計画には、TSMCにとっての大口顧客であるApple、NVIDIA、AMDのトップたちも、こぞって期待の声を寄せている。
AppleのTim Cook CEOは、「TSMCアリゾナの最初で最大の顧客であることを誇りに思います。アメリカのイノベーションがこれからどう花開くのか、その可能性にワクワクしています」とコメントした。
NVIDIAのJensen Huang CEOは、AIを支えるインフラをアメリカ国内で作ることの重要性を説き、「政権の国内製造業への後押し」に賛辞を送った。
そしてAMDのDr. Lisa Su CEOは、さらに具体的に、「AMDはTSMCのN2プロセスとアリゾナ新工場の主要なHPC(高性能コンピューティング)顧客になります」と宣言。未来の高性能チップ開発に、TSMCの最新技術が不可欠であると強調した格好である。
ただ、こうしたバラ色の期待の裏には、無視できない現実の壁も存在する。台湾の法律が、TSMCが持つ「その時点で世界最新」の製造技術を海外に持ち出すことを厳しく制限しているのだ。そのため、少なくともスタート時点では、アリゾナで作られるのはiPhone 14や15の通常モデルに使われたA16チップ(4nm世代)のような、少し前の世代のチップが中心になる見込みだ。Apple Watch Series 9向けのS9チップも、という話もあるが、こちらはまだ確かな情報ではない。
もっとも、TSMC自身も、将来はアリゾナで作るチップの世代を早め、台湾との差を3世代程度まで縮めたい、と考えているフシもある。状況は常に動いているわけだ。第3工場が目標とする2nm/1.6nm世代の稼働は2028年から2030年頃と見られているが、その頃には台湾本社ではさらに先のA14(1.4nmクラス)世代の生産が始まっている可能性が高い。アリゾナが名実ともに「最先端」を担うには、まだ時間も、そして法律というハードルも越える必要がありそうだ。
「メイド・イン・アメリカ」は遠い? – サプライチェーンというアキレス腱
アリゾナで作られたチップが、すぐに「完全なるアメリカ製」を名乗れるわけではない、という点も見逃せない。当面は、アリゾナで加工されたシリコンウェハーを、最終的な製品の形に仕上げる「後工程」(パッケージングやテスト)のために、わざわざ台湾へ送り返さなければならないからだ。これは単に時間とコストがかかるだけでなく、Trump大統領の相互関税の行方によっては、アメリカに製品を戻す際に余計なコストがかかるリスクも抱えている。
TSMCも手をこまねいているわけではなく、後工程をアメリカ国内で完結させるため、AMCORと組む動きを見せている。しかし、この体制が完全に機能するまでには、まだ数年はかかると見られている。長期的な構想としては、アリゾナの広大な敷地に、6つの製造棟、2つの後工程施設、そして研究開発センターまで備える、一大拠点を築くという壮大な青写真があるようだ。これが完成すれば、ようやく本当の意味でのアメリカ一貫生産体制が整うことになるが、そのゴールはまだ少し先に霞んでいる。
そして、先ほど触れた台湾の法律による技術移転の縛りは、TSMC自身のビジネスにも影を落とすかもしれない。半導体ファウンドリの世界では、最先端のプロセスほど高く売れるのが常だ。その「ドル箱」をアメリカで自由に展開できないとなれば、巨額投資の回収計画にも影響が出かねない。
現場のリアル – スピード感の裏にある遅延と軋轢
今回、第3工場が建設許可から間髪入れずに着工した、そのスピード感は確かに印象的である。一部では、この素早い動きの裏には、台湾政府への詳細な投資計画の提出がまだ済んでいない、という台湾メディアの報道との兼ね合いがあるのでは?と勘ぐる声も囁かれている。
しかし、過去を振り返れば、アリゾナでのプロジェクトが常に順調だったわけではない。2020年に始まった最初の工場建設は、予定より大幅に遅れ、実際に動き出したのは今年に入ってからであった。その過程では、残念ながら建設作業員の方が亡くなるという痛ましい事故も起きている。
TSMC側は、遅れの理由として、アリゾナ現地で熟練した働き手がなかなか見つからなかったことを挙げている。さらに、TSMCのマネージャー層がアメリカの従業員を「扱いにくい」「働きぶりが十分でない」と感じている、といった報道もあり、文化の違いからくる軋轢も露呈した。賃金の引き下げや、組合に加入していない労働者の採用、そしてTSMCが台湾から従業員を連れてきたことに対し、地元の労働者や議員から反発の声が上がったことも事実である。
一時期は、2024年までに6つもの工場を建てる、という景気の良い話も聞かれたが、結局、2番目の工場の着工は2022年で、稼働開始は2028年までずれ込む見通しだ。今回着工した第3工場の稼働目標が2028年から2030年ということを考えると、プロジェクト全体が当初描いていたスケジュールよりも、かなり長い時間軸で進んでいることは間違いなさそうだ。過去の教訓を生かし、これから先の建設がスムーズに進むのかどうか。これは大きな注目点と言えるだろう。
巨大プロジェクトの針路 – アメリカ半導体の未来は?
TSMCがアリゾナで3つ目の工場建設に乗り出した。これは、アメリカが自国での半導体生産能力を取り戻そうとする動きの中で、極めて重要な一歩と言えるだろう。CHIPS法という強力な追い風を受け、Apple、NVIDIA、AMDといった巨人たちからの期待も背負っている。将来的には2nm、さらには1.6nmという超先端技術をアメリカ国内で、という野心的な目標も掲げられており、もし実現すれば、アメリカの技術的な優位性を保つ上で大きな力となるはずだ。
しかし、その前途は決して平坦ではない。台湾の法律という見えない壁、アメリカ国内で完結しないサプライチェーンのもどかしさ、過去に表面化した建設の遅れや労働現場での軋轢、そして米中間の緊張や台湾海峡の不安定さといった、避けては通れない地政学的なリスク。課題は山積みである。
確かに、TSMCのアリゾナプロジェクトは、その規模、技術的な重要性、そして国際政治の中で持つ意味合いにおいて、過去に例を見ない壮大な試みだ。だがTrump大統領が華々しく誘致したFoxconnのウィスコンシン工場が、結局は計画通りに進まなかった苦い記憶も新しいところである。TSMCの挑戦が、単なる「絵に描いた餅」で終わるのか、それともアメリカ半導体産業の真の復活劇を導くのか。これから数年の動き、特に技術移転がどこまで進むのか、サプライチェーンは確立されるのか、そして現場の労働環境は改善されるのか。そうした点が、このプロジェクトの成否を左右する試金石となるだろう。
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