米国の厳格な輸出規制下にありながら、中国のテクノロジー大手Huaweiが開発を進める最先端AIチップ「Ascend 910C」。その内部構造が、半導体リバースエンジニアリングの権威であるTechInsights社の分解調査によって白日の下に晒された。調査結果は、業界に大きな衝撃を与えている。チップの心臓部には、米国の規制対象であるはずの台湾TSMC製ダイ、そして韓国Samsung ElectronicsおよびSK hynix製の高性能メモリ(HBM)が使用されていたことが確認されたのだ。この事実は、単なる一企業の部品調達問題に留まらない。米国の制裁網に存在する抜け穴、中国の半導体国産化に向けた執念、そして地政学リスクによって分断されつつあるグローバルサプライチェーンの現実を浮き彫りにする、極めて象徴的な出来事である。
TechInsightsが暴いたAscend 910Cの「不都合な真実」
TechInsights社が実施したAscend 910Cの分解調査は、デジタル時代の考古学とも言える緻密な作業である。その結果、Huaweiが公には語らないチップの出自が明らかになった。
心臓部を担う「TSMC製ダイ」の存在
調査で最も注目すべき発見は、プロセッサの性能を決定づける中核部品「ダイ」が、世界最大の半導体ファウンドリ(受託製造企業)である台湾積体電路製造(TSMC)によって製造されていたことである。
そもそもダイとは、半導体チップの本体であり、シリコンウェハー上に形成された電子回路そのものを指す。このダイの製造には、ナノメートル単位の微細な回路を焼き付けるための最先端技術が不可欠であり、その技術力においてTSMCは世界をリードする存在だ。
Huawei傘下の半導体設計企業HiSiliconは、かつてTSMCの最先端プロセスを利用する主要顧客の一社だった。しかし、2019年以降に段階的に強化された米国の輸出規制により、TSMCがHuaweiに半導体を供給することは原則として不可能になったはずだった。それにもかかわらず、最新のAIチップにTSMC製のダイが搭載されていたという事実は、この規制の壁を何らかの形で乗り越えた部品が存在することを示唆している。
TSMC側は、TechInsightsの報告に対し、「今回分析されたチップは、2024年10月に同組織が分析したものと同じであり、より最近製造されたダイや、より高度な技術を用いたものではない」とコメント。問題となったチップの生産と販売は、それ以降停止されていると主張している。 しかし、これがどのようにしてHuaweiの手に渡ったのか、その全容は依然として謎に包まれている。
AIの性能を左右する「Samsung・SK hynix製HBM」
もう一つの重要な発見は、AIの計算処理に不可欠な広帯域メモリ(HBM)が、この市場を寡占する韓国のSamsung ElectronicsとSK hynix製であったことだ。
HBMは、複数のDRAMチップを垂直に積み重ねることで、従来のメモリとは比較にならないほどの広いデータ転送帯域を実現する特殊なメモリだ。膨大なデータを並列処理するAIアクセラレータにとって、プロセッサ(この場合はTSMC製ダイ)とメモリ間のデータ転送速度は、システム全体の性能を左右する致命的なボトルネックとなり得る。HBMは、このボトルネックを解消するためのいわば生命線であり、その供給はSamsungとSK hynixの2社に大きく依存しているのが現状だ。
調査で発見されたのは、両社の旧世代品である「HBM2E」であった。 これは、米国がHBMに対しても輸出規制を強化する以前に、中国企業が駆け込みで大量に備蓄した在庫の一部が使用された可能性を示唆している。
制裁網の穴:禁輸部品はどこから来たのか?
TSMC製のダイとSamsung・SK hynix製のHBM。これらが入手困難なはずの部品が、なぜHuaweiの最新チップに搭載されているのか。その背景には、巧妙かつ複雑なサプライチェーンの存在が浮かび上がる。
「シェルカンパニー」経由の密輸疑惑
複数の報道によると、Huaweiは「シェルカンパニー(ペーパーカンパニー)」を介して、TSMC製のダイを迂回的に入手した疑いが持たれている。 Notebookcheckの報道によれば、この手法によって確保されたAscendチップ用のTSMC製ダイは、約290万個にものぼるとされる。 この一件はTSMCにとっても大きな代償となり、情報漏洩に関連して10億ドルもの罰金を科されたとの報道もある。
この疑惑は、米国の輸出規制が、複雑な企業構造や第三者を介した取引までを完全に捕捉することの難しさを物語っている。一方で、TSMCが主張するように、これらが規制強化以前に製造・流通した在庫の最終的な行き先であった可能性も否定はできない。いずれにせよ、ブラックボックス化したサプライチェーンの存在が、規制の実効性を揺るがしていることは間違いない。
HBMの在庫と「デソルダリング」という荒業
HBMの調達ルートはさらに深刻な状況を映し出している。中国企業は、米国による規制強化を見越してHBMを大量に備蓄したと見られているが、その在庫も急速に枯渇しつつあるという。
そこで登場するのが、「デソルダリング」と呼ばれる、にわかには信じがたい手法だ。これは、制裁を回避する目的で意図的に緩く組み立てられた製品から、はんだを溶かしてメモリチップを物理的に取り外し、AIチップに再実装するというものだ。 このような方法は、歩留まりの悪化や品質の低下を招くリスクが非常に高く、まさに「荒業」と呼ぶほかない。これは、中国がいかにHBMの入手に苦慮しているかの裏返しであり、サプライチェーンが極度に逼迫している状況を象徴している。
Ascend 910Cの戦略的価値と性能評価
苦心して集められた部品で製造されるAscend 910Cは、中国にとって極めて重要な戦略的価値を持つ。
NVIDIA H100代替への道:中国の期待と現実
現在のAI市場は、米NVIDIA 社のGPU、特に「H100」によって席巻されている。しかし、これもまた中国への輸出が厳しく制限されているため、中国のAI開発企業は深刻な計算リソース不足に直面している。Ascend 910Cは、このNVIDIA H100の国内代替品として大きな期待を背負う存在だ。
しかし、その性能はNVIDIA に及ばないのが現実である。実際のテストではAscend 910Cの性能がNVIDIA H100のおよそ半分程度であると報じられている。 さらに、その製造コストは非常に高く、市場で取引されるH100とほぼ同額に達するとも言われている。性能で劣りながらコストは同等という厳しい現実は、Huaweiが直面する技術的・経済的な挑戦の大きさを示している。
生産を縛る二つのボトルネック
今後、HuaweiがAscend 910Cの生産を拡大していく上で、二つの大きなボトルネックが存在する。それは、これまで述べてきた「TSMC製ダイの在庫」と「HBMの供給」だ。
分析によれば、Huaweiが確保しているTSMC製ダイの在庫は、2026年の夏頃には尽きてしまうと予測されている。 その後、Huaweiは中国国内のファウンドリであるSMIC(中芯国際集成電路製造)の7nmプロセスに頼らざるを得なくなるが、SMICの同プロセスは歩留まり(良品率)に課題を抱えているとされ、TSMCと同等の品質と量を確保するのは困難と見られている。
さらに深刻なのがHBMの供給だ。これが今後のAIチップ生産における最大の制約要因になるとの見方が支配的である。 在庫が尽きれば、前述のデソルダリングのような不安定な供給に頼るか、あるいは性能で劣る国産メモリの登場を待つしかない。こうした制約により、Huaweiは2026年においても約100万ユニットのAscend 910Cしか生産できないと予測されており、これは中国国内の旺盛な需要を満たすには程遠い数字である。
技術覇権争いは新たな局面へ
今回のTechInsightsによる発見は、米中間の技術覇権争いが新たな局面に入ったことを示唆している。
第一に、中国の半導体国産化戦略が、依然として海外の基幹技術に深く依存しているという現実を浮き彫りにした。Huaweiは最先端のチップを設計する能力を持っていても、それを製造するための高度な製造装置や、性能を最大限に引き出すためのHBMのような重要部品を自給できていない。中国政府は国内の半導体産業に巨額の資金を投じ、国家ぐるみでこの弱点を克服しようとしているが、その道程は長く険しいものであることを今回の件は証明している。
第二に、米国の輸出規制が「いたちごっこ」の様相を呈していることだ。米国が規制の網をかければ、中国企業はシェルカンパニーや在庫の活用、デソルダリングといったあらゆる手段を講じてその網を潜り抜けようとする。今回の発見は、米国政府に規制の抜け穴を塞ぐためのさらなる措置を促す可能性が高い。サプライチェーンの監視強化や、第三国を経由した取引への規制拡大など、今後さらに締め付けが厳しくなることも考えられる。
最終的に、この出来事はグローバルサプライチェーンの分断という大きな潮流を象徴している。かつては効率性を最優先に構築された半導体の国際分業体制は、今や地政学的な対立によって引き裂かれ、各国が経済安全保障を名目に自国内でのサプライチェーン完結(垂直統合)を目指す動きを加速させている。HuaweiのAscend 910Cは、まさにこの過渡期に生まれた、矛盾と苦悩を内包したチップと言えるだろう。その心臓部に宿るTSMCとSamsungの痕跡は、技術のグローバル化が終わりを告げ、新たなブロック経済圏が形成されつつある時代の静かな証言者なのである。
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